929th  誤解を招くといけないので | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

昨日のブログの内容についてはちょっと書き加えておかなければならないと思います。

人は、自由意思がありますから、霊的修行者になることもならないことも完全に自由です。

ただ、霊魂学に真実があると信じている者としては霊的に目覚める可能性がある方まで霊魂学を知らずに一生を終えることがあまりにも忍びないため、個々にPRをさせて頂いています。

そして、霊的修行者となったとしても、とにかくご自身のために霊的トレーニングを行ったり、トウ・ライ・シェイに参加したりすることが重要でそれ以上のことをした方が良いとは言われません。

それ以外のことをしないことがおかしいという風潮が生まれてしまうと実質的に強制されてしまう方が出てきますので、その点については全く自由なのです。

また、僕のようにこのブログを更新し続けていても、自分自身のためにやっているという認識の方が少なくないのも事実です。

その点はお間違いのないようにお願いしたいと思います。


さて、このブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、水波霊魂学 早わかり わかりやすい霊魂学 霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」) 霊をさぐる 弁慶と弟子 体験ー死後の世界霊魂学紹介動画 などをご覧になって頂ければと存じます。


ただし、今は土壇場にきていますから、個々がご自身で考え、実際に行動されるということが重要だとは思います。

本日頂いたコメントの方のように契山館を知って三日後に入会されたというのも素晴らしい行動だと思います。

もう2万回書いていますが、個々によって状況も事情も生まれた理由も霊的カルマも育った環境も何もかも違うのですから、実際に考えて、行動する内容も異なっていて当然です。

そこに他者が正解だ不正解だというものはないのです。

もちろん、何もしないという選択も自由なのですから、そのことについてあれやこれや言うのは間違いだとも思っています。

ただ、僕が憤慨するのは、自分は何もしないで、なんら傷つくことのない安全地帯に居ながら、他者の行動に対して余計なことを言うことです。

もちろん、会の活動の妨害になることに対してそれを阻止するのは当然のことですが、それですら何を基準にするのか判断が難しいことがあります。

ましてや、明らかに個々の判断やそのことについて特定の個人に任されている事柄に対して、関係のない方が批判したり悪口を言ったりすることはやめて頂きたいと思います。

そのような言動がご自身の霊的な進歩向上に資しているのかどうかを今一度お考え頂ければと存じます。

僕はそれは高慢へと繋がると危惧しますし、ご自分が高慢だと気がつく方に実際に高慢な人は一人もいないという事実をお伝え申し上げます。

個々が個々のお考えで、行動し、行動せず、霊的修行者になり、霊的修行者を止める。

高貴な存在がそのことに口出しされることはありません。

なぜ、神霊やキリストや高級霊魂が絶対にされないことをわざわざやってみせるのか僕は不思議でしょうがありません。

僕は、ここしばらくは目先の儀式のことしか考えられません。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。

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