921th  死を軽んじる | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

霊魂学はあの世が実際に存在することを教え、それがどのような世界なのかを何とか物質界の文字や言葉で示してくれています。

しかし、あの世が本来の住処であり、あの世には物質界における死に相当する概念がないという事実を告げると、はなから霊魂学を深く学びたいなどと全く考えておられない方は勘違いをされます。

「死を軽んじるのですか。」と。

死自体はありとあらゆる人に訪れるものですから、そもそも軽んじるも重くみるも相対的な個々の評価に過ぎないのですが、人は地上では肉の身体を持ち、肉の脳は肉の維持を絶対的な最優先事項としているのですから、死に対する恐怖や拒否感は誰にでもあるものです。

従って、相対的にはどうなのか分かりませんが、人の死を軽んじる人などいないでしょう。

ただ、国を守るためとか、自己の地位を維持するためとか、いろいろと個々が理屈をつけて、他人の死を相対的に軽くしている場合があるのも事実です。

霊魂学においては、死は必ず訪れ、死後の生活の方が長いし、霊魂としての本質的なことであるから、重要だと説いていますが、人の死が軽いものなどとはどこにも書いてありません。

もちろん、修行の段階が進んだ霊的修行者の方には地上での命よりも重要なものがあると考えておられる方も少なくないとは思いますが、それは個々の自由意思による考え方であって、しかもその命とはご自身の命を指しておられるでしょうから、他者の死を軽んじるということはないと思っています。


さて、今日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、水波霊魂学 早わかり わかりやすい霊魂学 霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」) 霊をさぐる 弁慶と弟子 体験ー死後の世界 などをご覧になって頂ければと存じます。


霊魂学も地上の言語で表現されているのですから、何もかもが全て完璧に正しいとは限りません。

個々の解釈によって異なるイメージを持っておられるということもあるでしょう。

しかし、本質的な部分において僕は真実だと確信しています。

ただ、正直申し上げて、じゃあ霊的修行者となってそれなりに神伝の法を実践したのだから、あの世で凄いことになるという実感があるわけではありません。

あまり、書きたくありませんが、修行を進めていくと、そんなことはどうでも良くなるというケースもあるようなのです。

じゃあ、なぜ時間とお金を使って修行をしているのですかと言われると答えようがないのです。


何度か書いていますが、妻は霊魂学に強い興味があるわけでもないのに、トオゥ・ライ・シェイに参加し、合宿にも参加させて頂いて、一応それなりに水の禊と鎮魂法初伝をやっているわけなのですが、他の会員の方からは不思議に思われているようです。

まあ、これだけ霊魂学が無視されたり、拒否されたりしているということを感じさせられると、妻のケースは非常に珍しいのでしょう。

実は本人もなぜ修行をしているのか分からないとよく言っています。

僕の場合は、波乱万丈な人生の中で苦しみの中からたどり着いたという感じがあるのですが、妻の場合はあまりそのようなことがないというのです。

しかし、どちらのパターンであっても結局は同じだと言えます。

法則がある以上、霊的トレーニングを行い、トオゥ・ライ・シェイに参加していれば、それ相応の霊的な変化は起きていますし、当然進歩向上もしています。

ちょっとした霊的な障害であれば、自力で治すことも出来るでしょう。

これから修行が進み、鎮魂法次伝などで霊体がどんどん成長してくると大きな変化が出てくるかも知れませんが、どうなるか分かりません。

それでいいのです。

個々の状況など何が正しいか分かりませんから、必要な時に霊査を受けて、自分なりに進んでいけば良いと思っています。

僕の場合は、苦しみから逃れたいということで修行を始めたのだと思いますが、今は何のためにやっているのかよく分かりません。

こうしたいから修行をやるのだと強い動機が見つからないのです。

もちろん、修行や霊的な活動を最優先に考えていますし、実際にそうしてはいますが、その結果何かを達成したいとか何かを得たいとか、ましてや自分以外の人たちをどうにかしたいとか、そういうものはありません。

唯一何かあるとしたら、それは霊的な部分を最優先できるような状況を死ぬまで続けたいということだけでしょうか。


話がそれましたが、その意味では僕は自分自身の死に関しては、他の方よりは非常に軽んじていると思います。

自殺願望はありませんし、以前ほどは日々の生活が苦しくてしょうがないから一日も早く逃れたいという気持ちもありませんし、死に対する恐怖が無くなったということではないのですが、あまり気にしないという感覚になっています。

長く生きていたほうが修行の量は増えるでしょうから、それなりに意味があるのかも知れませんが、あとどれくらいと分かった方が質の高い修行が出来るのかも知れませんので、何が良いのか分かりません。

霊魂学の学徒となった以上は、何か地上でもっとすることがあるような気はしますので、それを探しながら最善は尽くさなければとは思いますが、日々の生活においては淡々と生きていくだけです。

この時代に生きているのですから、これからも更にいろいろなものを見ることになるのでしょう。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。

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