歴史は人類の戦いの歴史でもあります。
人は生存競争の延長として殺し合いをしてきました。
後の検証で、勝者側は勝利の方程式をひけらかします。
その勝者も内紛や新たなる脅威によって敗者となり、誰が勝者か敗者か分からなくなります。
しかし、その瞬間、瞬間では勝利の方程式を歴史として後世に残そうとするのです。
そして、勝者は神のご加護を語ります。
「天は我に味方した。」
敗者は嘆きます。
「天は我を見放した。」
勝者も敗者も傲慢の極みです。
地上に降りて、動物となった人の生存競争に神が関与されるはずなどないのです。
ところが、神の存在を信じないはずの現代人でも、選挙の勝ち負けで、「天の声にも変な声がある。」だの「天が自分たちを選んだ。」など勝手なことを言います。
そして、また16日の深夜には新しい勝者が勝利の方程式を自慢げに語るのでしょう。
地上の生存競争はそれで良いのかも知れません。
しかし、本当の戦いは違うのでしょう。
勝利の方程式は一つだけしかありません。
ただ、その勝利の方程式を人類が忌み嫌っているのです。
結果は火を見るよりも明らかです。
それでも、神霊やキリストや高級霊魂の方々が戦い続けると仰るのであれば、その貴い光が地上から完全になくなってしまわないのであれば、戦い続けるしかありません。
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高貴な存在の方々の戦いとは、人類の自由意思との戦いです。
自由意思という絶対的な権利が与えられている人類のその自由意思と戦うのです。
はなから無理な話だと思われるかも知れませんが、人という霊的生命体には、不可能だと思われることを可能にする尊い光が奥深いところに眠っているのです。
霊的修行者であってもそれを完全に解き放つことは至難の業だと言えます。
地上に居ながらその域に達することはキリストでなければ無理なのかも知れません。
しかし、それでも一歩でも至上の神に近づくために、霊的修行者はそれを目指して努力するしかないのです。
それ以外に、地上に生まれた意味はないからです。
具体的に何をすべきは個々によって異なるでしょう。
霊的トレーニング、トオゥ・ライ・シェイ、霊的な活動、日々の生活における修行。
その他にもあるのかも知れません。
いずれにしても、依存することなく、自分で考え、自分で判断したことを一心不乱に実行するしかないのでしょう。
もちろん、肉を着て地上にいるのですから、動物としての生活との調整は必ず必要です。
しかし、その調整の中でどうしたら最善を尽くせるのかを考えるしかありません。
残念ながら、北海道から沖縄まで、地震が頻発しています。
天災を防ぐ方法はありません。
願ってどうなるものではありませんが、それでもせめてあと数週間だけは物理的な障害になるような大きな天災は起きて欲しくないと願ってしまいます。
天災はどうすることも出来ませんが、次世代へ光を残すことはできるのかも知れません。
極めて個人的な感覚ですが、僕はその勝負はこの数週間でつくのだろうと強く感じています。
光を完全に消し去ろうと狙ってきた勢力が、奥の手を使って神霊やキリストが積み上げられてこられた成果を阻止しました。
彼らはまだ奥の手をいくつか隠し持っていると思います。
しかし、それを上回るような器を地上に作るしかありません。
神霊の御力にはそもそも限界など無いのです。
限界があるのは、常に地上の方です。
だから、最善を尽くし、最大限の器を用意して、勝負するしかありません。
長々と繰り返され今も変らぬ地上の価値観の戦いとは異なり、この勝負には神霊やキリストや高級霊魂の方々は御力を与えて下さります。
なにがどうなるか僕には分かりませんが、最善を尽くさずに時の経過に甘んじることだけは出来ないと思っています。
勝負はいつも準備を終えた時点で決まっているのかも知れません。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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