僕が霊的に目覚めた瞬間というのはいつだろうかとふと思いました。
霊的なことに関する節目というものはいくつもあるので、どの節目が霊的に目覚めたと言えるのだろうと思ったのです。
以前、妻から「私は霊的に目覚めているの。」と訊かれた時に、「霊的トレーニングを続けていて、トオゥ・ライ・シェイにも出来る限り参加しているのだから、当然目覚めていると言えるでしょう。」と答えたことがありました。
その理屈から言えば、契山館に修行会員として入会して基礎行を始めた時が霊的に目覚めた時と言えるのかも知れません。
行動が伴わなければ、霊的に目覚めたとは言えないと個人的に考えているからです。
ただ、物質的な世界と霊的な世界について、価値観がそれまでと劇的に変った瞬間というものは僕の場合はあります。
正にその瞬間だと言える様な出来事があったのです。
ある時、僕は、本屋で霊的な本を立ち読みしていました。
20代半ばから後半にかけての頃だったと思いますが、僕は既に霊的な世界があるだろうとは信じていました。
霊能者については、偽者も多く存在するのだろうけれども、本物と言える方もおられるだろうと思っていました。
しかし、それはあくまでも地上の価値観だけに根付いたものでした。
ところが、その日、立ち読みしていた本のたった一行の文章を読んだ瞬間に、「あっ、思い出した。」と突然感じたのです。
読んだ文章とは直接的な関係は無かったと思うのですが、「人の本来の住処はあの世であって地上はほんの仮初めの世界に過ぎない。」ということを信じたというのではなく、正に「思い出した。」と感じたのです。
そして、その瞬間に頭上から何かきらきらとした金粉のようなものが降ってきたと感じました。
さて、今日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、水波霊魂学 早わかり 、わかりやすい霊魂学 、霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」) 、霊をさぐる 、弁慶と弟子 、体験ー死後の世界 などをご覧になって頂ければと存じます。
その時は何かはっと目覚めたような感覚になりました。
ちょっとだけですが、ゾクゾクっとしたその瞬間を今も忘れることは出来ません。
今思えば、その瞬間が霊的な目覚めのようなものだったのか、何だったのかよく分かりませんが、その時から僕の物質界や霊的な世界に対する価値観というか感覚のようなものが全く変ってしまいました。
その瞬間から、霊的な真実と言うものは何かということを求め始めたような気がします。
しかし、それから霊魂学に出会うには7年ほどを要したのです。
ただ、「霊をさぐる」というサイトを見た瞬間に、やっと見つけたと思いましたから、あの時のあの劇的な変化というものがすんなりと霊魂学を受け入れられ、比較的早く修行会員になった原動力となったと思っています。
その瞬間こそが霊的な目覚めへの始まりだったのかも知れません。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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