864th  そうなってみないと分からない | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

大学生の時に、塾の講師をやってみて初めて分かったことがあります。

教える立場で教壇に立つと見える風景も感じることも全く想像したのと違うということです。

物理的には高校の時も教壇に立って、司会をしたりいろいろなことをしたりした経験はあったわけですが、教える立場になると感じることが違ったのです。

社会人になってからも、中間管理職、管理職、経営層、更には独立とその立場になって初めて分かると言うことだらけでした。

こういうことを書くと批判されるのでしょうが、やはり経営層に入ると心身ともにボロボロにされますし、それに見合った給料を貰えるかというとそうではないということが骨身に染みて分かりました。

日本の場合は、それなりの規模の企業の取締役になっても、新卒の社員の10倍も20倍もの年収がもらえるわけではありません。

しかし、仕事の質と量は桁違いですし、肉体や特に精神にのしかかる負担は半端ではありません。

もちろん、経験したことがない人に、俺の気持ちが分かるかなどと言ってみても何の意味もありません。

実際にそうなってみないと絶対に分からないことだからです。


経験上そんな思いを何度もしていると、多くの方々が邪霊になってしまうというのも今の地上の状況では、ごく一般的なことなのかも知れないなあと思ってしまいます。

人と言う霊的生命体は極めて複雑な存在で、いろいろな面を持っていますので、邪悪な側面も当然誰もが持っています。

僕も人生において、ろくなことをしていないなあとか自分でも驚くような恐ろしい感情が湧き上がってきたなと感じたことはあります。

たまたま、霊魂学にたどり着くことが出来て、人生の三分の二の時点では何とか進むべき道を歩いているのだろうとは思っていますが、この先はどうなってしまうか分かりません。

いつも書いていますが、天災や人災を自分だけが避けることが出来るなどと言う幻想は抱いていませんので、大きな災難に遭遇した時に自分自身がどうなってしまうかなど分からないのです。

もちろん、常に高慢になるという危険もつきまといます。

何かをきっかけにして崖から落ちてしまい、死後、下の世界に落ちてしまう可能性は絶対にゼロにはなりません。

そうなった時に腐らずに上を目指して頑張ろうと思えるかどうかなど分からないのです。


さて、今日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、水波霊魂学 早わかり わかりやすい霊魂学 霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」) 霊をさぐる 弁慶と弟子 体験ー死後の世界 などをご覧になって頂ければと存じます。


人が地上の価値観で実りある人生を送り、多くの方々に賞賛されて他界しても、上の世界に入れるとは限りません。

むしろ、知名度が高いと妬まれたり逆恨みされたりすることが多いので、下の世界に入る確率の方が高いのかも知れません。

そのような、この世で立派な方々が、あの世で下の世界に入ってしまったことを受け入れがたいことだと感じるのはごく普通のことでしょう。

そこで、地上とは全く法則が異なる世界に入ったのだから、郷に入れば郷に従えで、全てをリセットして前向きに努力することが出来るかというと非常に難しいと思います。

僕だったら、気持ちが腐ってしまって、そんな気持ちにはなれないのではないかと思ってしまいます。

そんなの時に、あの世の法則が間違っているとか神がおかしいとか思い始めるとすぐに足を引っ張る連中が近づいてくるでしょう。

そうなると、いつのまにか自分も邪霊と呼ばれるようになり、足を引っ張る連中の一員になってしまうまでになるのは時間の問題といえるでしょう。

人は、地上でも未熟ですが、あの世に行っても未熟です。

だからこそ、神を目指して努力すべきなのですが、残念ながらあの世に行っても自由意思の原則だけは変わりませんので、自己責任においていくらでも邪悪になることが出来るのです。

そして、それは、ほんのちょとしたボタンの掛け違いのような話がきっかけになることも少なくないでしょう。

邪霊と言えども、そうなった経緯を実際に自分も経験してみなければ、何も分からないのです。

すると多くの方々から、「だったらどうすればいいんですか。」と言われてしまうでしょう。

結局、神伝の法、すなわち霊的トレーニングを日々積み重ねて、それだけでは得られないものをトオゥ・ライ・シェイによって補いながら、日々の生活でのさまざまな調整をしていくしか救われる方法はありませんという話になるわけです。

しかし、神伝の法を実践しないことが悪いことだとは思いません。

自由意思が認められているのですから、自己責任において全てを判断して、行動するなりしないなりされれば良いのだと思います。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。

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