844th  霊的な基準 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

今世間でいろいろと起こっていることもそうですが、実は何が霊的に良いことなのか悪いことなのかというのは、一概には言えません。

特に、個人個人の状況というのは、霊的な究極の意味において、自分自身にとって良いことか悪いことかは自分ではわからないのです。

特に、個人の希望や利益に関わることだと全く分からないと言えます。

例えば、僕はいつもご利益には守護霊や指導霊の方々は働いて下さらないと書いていますが、地上の価値観において外見上ご利益と見えることでも、霊的修行者としての人生を貫くためには必要なこともあります。

そのような場合にも守護霊や指導霊の方々が力を与えて下さらないということではないと思うのです。

僕自身がそのへんの線引きがよく分かっていないので、初心者の頃は、どんな状況になってもギリギリのところまでくれば、守護霊や指導霊の方々は助けてくださると思っていましたし、逆にそれなりに修行の段階を踏んでからは、外見上ご利益に見えるようなものは守護霊や指導霊の方々にサポートを望むことは良くないことだとかたくなに思っていました。

今もどのような場合がどうだということは分かりませんが、一つだけ重要なことがあると思っています。

それは、実際の行動によりけりだということです。

霊的修行者としての生き方を真剣に考え、考えるだけではなく決断し、実際にそれを行動に移し、継続していれば、おのずと地上の人間として生きていく上での最小限必要なものは見えてきます。

都度最善を尽くすと言っても、あまりにも日々の生活が何らかの原因によって過酷過ぎるのではあれば、やはり霊的な活動もままならなくなります。

しかし、僕が間違っていたと思っていることは、全ての環境が整ったら、霊的修行者として理想的な生き方が出来るだろうと考えていたことです。

逆なのです。

霊的修行者として現状において最善を尽くし、それを継続していれば、やはり守護霊や指導霊の方々もそれを阻害するような要素はどんどん排除した方が良いとお考えになるでしょうし、関与することが出来ることには極力サポートして下さると思うのです。

霊的修行者として最善を尽くすことなく、理屈の上では霊的にプラスになりそうなことを願っても、今の段階で手を貸したら、単なる依存心を増長させるだけになると判断されてしまうと僕は思います。


さて、今日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、水波霊魂学 早わかり わかりやすい霊魂学 霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」) 霊をさぐる 弁慶と弟子 体験ー死後の世界 などをご覧になって頂ければと存じます。


自由意思がある以上、結局は自分自身で考え、行動するしかないのですが、普通の方々とは異なり、守護霊や指導霊と常に交流しているような霊的修行者であれば、霊的に必要なことは必ず彼らが全力を尽くしてサポートして下さいます。

それが、一見ご利益に見えるようなことであっても、必要があれば力を貸して下さるでしょう。

それが霊的に必要かどうかということは、霊的修行者の実際の行動で判断される部分が非常に大きいのだと僕は強く感じています。

同じ人間であっても考え方が変り、それが行動して現れていたら、少し前であれば依存の増長になったことも今では霊的な活動に対するサポートとなり得ると思うのです。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。

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