839th  くだらない | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

人は、過去の自分を振り返ったり、他者の言動を見たりして、くだらないなあと思うことがあります。

もちろん僕もあります。

しかし、それが自分自身のことである時は、反省であり向上へとつながることがあるでしょうが、他者に対してのものには自分と他者を比べて、自分の方が優れているとか、まだましだとかいった感情が入っていることが多いでしょう。

本質的なことを言ってしまうと、人という霊的生命体が地上に生まれたにも関わらず、霊的な進歩向上を目指し、霊的カルマの解消のために努力をしないのであれば、それこそ人生の全てがくだらないということになってしまいます。

その意味においては、地上の価値観や個人の感情によってどんなに素晴らしいことも価値が高いと思われていることも霊的な進歩向上を前提にしていなければ、全て例外なしにくだらないのです。

ところが、人が地上に再生されて生きると肉の維持が全てにおいて優先されてしまいますから、人の脳はそのことを前提にして、勝手にいろいろと考え、優先順位を決めていきます。

それは、致し方ないことであって、くだらないと一刀両断で決めつけてしまっては、人は地上で生きていくことが出来ません。

確かに本質的には全てくだらないことであったとしても、個々にとってはどんなことも事情によってはくだらないことではなくなるのです。


さて、今日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、水波霊魂学 早わかり わかりやすい霊魂学 霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」) 霊をさぐる 弁慶と弟子 体験ー死後の世界 などをご覧になって頂ければと存じます。


霊的な進歩向上を目指す時、地上にいなければ出来ないことがあります。

だからこそ、偉大なる魂であるキリストが地上に降りられるのであり、神霊や高級霊魂の方々が地上に関与されようとするのです。

地上は、幽質界を前提としてさえ、意味のないことがほとんどなのですが、神質界や霊質界の高貴な存在が、地上に関与されるのですから、地上での出来事は全てくだらないと言えばくだらないですが、全てくだらなくないと言えばくだらなくないのです。

結局、同じ話を繰り返すことになるのですが、肉の脳や肉の身体の特性を正面から受け止めつつ、他者がどうのこうのということには翻弄されることなく、まずは自分自身の人生をいかに調整していくかということが地上で生きる上では最も重要であり、実は最も難しいということになるのです。

霊的修行者となった後はもちろんですが、霊的トレーニングを行ったり、トオゥ・ライ・シェイに参加したりということに一歩踏み出すか否かも実は大きな意味での修行であり、調整であると僕は思っています。

霊的トレーニングをしてみたいと思っても、さまざまな理由によってそれが出来ないということはよくあることです。

しかし、本気で霊的な進歩向上を目指し、霊的カルマを解消したいと思った時に、それを可能とすべくありとあらゆることを考えるということは、大変立派な日々の生活における修行だと僕は思います。

その真摯な思いは、何らかの形で必ず守護霊や指導霊に伝わると思いますし、伝われば彼らは何とかしようと必死になって活動をされると思います。

あなたが、くだらないけれでもくだらなくないことで、独り涙を流しておられる時には、彼らも自分のこと以上の思いで一緒になって涙を流しておられるのかも知れません。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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