786th  無駄 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

同じことを何度も書いていると思いますが、神伝の法は神霊や高級霊魂といった極めて高貴な存在との契約によって成り立っています。

そして、その前提として神霊や霊魂の存在を信じ、神伝の法を高貴な方々と作成され、地上にそれを示された師からの直伝で教えて頂く必要があります。

存在を信じていない方々と契約を結ぶということはあり得ませんし、現在のところ師のみからしか教えて頂くことが出来ないと言う約束になっているからです。

今後、地上において神人の域に達する方が現れたら、師から免許皆伝のお許しが出て、師以外の方からの直伝ということもあり得るかも知れませんが、現時点においては師以外から教えて頂くことは出来ません。

従って、霊的トレーニングの次第を元会員などから入手してその作法のみを全く同じに行ったとしても、一切高貴な存在からの力は降りません。

契約によって霊的トレーニングを行うことになっているのですから、契約をしておられない方に高貴な力が降りるはずがないのです。

また、一度霊的修行者となったとしても、自惚れてしまえば力は降りなくなります。

自惚れは、自ら高貴な存在との関係を絶つことを意味しますから、いつしか力が降りなくなります。

それでも自分には力が降りると信じ込んでいろいろな霊的な行為をするのですが、そのうちに一瞬の隙をつかれて邪霊に取り込まれてしまいます。

やがて、唯一神に選ばれたとかキリストを越える存在になったという、自称神からの神託があり、一気に坂道を転がり落ちます。

その状況に至って、霊的トレーニングを行おうが、自分の力だけでトオゥ・ライ・シェイをやってみようが、高貴な存在どころかご自身の守護霊や指導霊からの力も降りなくなり、大変偉い邪霊のお歴々との二人三脚による半永久的な霊魂としての人生が始まるだけなのです。

霊的修行者を止めるという事は、自らの明確な意思による契約の解除ですし、自惚れることは、契約の存続を自らの意思で不可能にするということを意味します。

自惚れた修行者には、神霊や高級霊魂は交流することが出来なくなってしまうのです。

やがて、守護霊や指導霊も交流が出来なくなり、はいそれまでよということになります。

さて、今日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、水波霊魂学 早わかり わかりやすい霊魂学 霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」) 霊をさぐる 弁慶と弟子 体験ー死後の世界 などをご覧になって頂ければと存じます。


どれだけ修行が進もうとも、所詮地上の人間は肉の脳を使っていますから、常に過ちを犯す可能性があります。

だからこそ、それを前提に言動を行う必要があるのです。

自惚れとはすなわち常に自分が正しいと思い込むことで、自分に権限もないことに口を出し始めたり、自分の考えが霊的に正しいのであるからそれに従うべきだと言い始めたら、もうかなり危ないと言えるでしょう。

自惚れの怖いところは、自分自身では自惚れていることに絶対に気がつかないところです。

気がつかないからこそ自惚れるのですが、いずれにしても、地上の人間なのですから、多少修行が進んでくれば、誰でも少しは自惚れの気持ちが出てくるのは当然だと言えます。

その時に、いやいや地上の人間如きが霊的に常に正しいわけがない、自分の考えはつまるところ自分の都合を優先しているだけなのではないかと普通の感覚で疑うことが出来れば問題はありません。自惚れているのではないかと疑うことが出来れば、普通は自惚れることなどないのです。

それさえ、出来れば、自惚れの兆候が言動として現れることはないでしょう。

言動として現れるということは、その自惚れた考えを他者に自己主張することによって、結局は自分が正しいんだということを誰からも望まれていないのに、表現したという心がある証拠なのです。

それこそが、自惚れなのです。

いずれにしても、全ては自由意思ですから、自ら神霊や高級霊魂との契約を破棄すれば、後は何をどうしようが全て無駄です。

再び高貴な力に接すると言うことは永久にないと考えて間違いないでしょう。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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