神は存在するのでしょうか。
実は僕は知りません。
神霊は存在するのでしょうか。
実は僕は知りません。
高級霊魂は存在するのでしょうか。
実は僕は知りません。
守護霊は存在するのでしょうか。
実は僕は知りません。
指導霊は存在するのでしょうか。
実は僕は知りません。
そうです。
自分自身の目でその姿を見たり、声を聞いたりしたことは一度もないのです。
だから、存在するかしないかと言われれば、知らないと答えることが最も正しい答えになるわけです。
但し、富士の神霊と師との契約によって地上に示された神伝の法を実践しているのですから、神霊や高級霊魂や守護霊や指導霊は存在していると信じていますし、物質界の科学では証明出来ない感覚においては、それを知っています。
しかし、神霊や高級霊魂というあまりにも遠い存在だけではなく、守護霊や指導霊と肉体をもったままで会話を交わすということは、今後もないような気がします。
神人にでもなれば別でしょうが、あり得ないことです。
人には依存心があります。
僕は比較的少ない方だと思っていますが、肉を着たままで霊的活動を行う上で、いつでも守護霊や指導霊と会話出来るようになってしまったら、完全に依存してしまうような気がします。
地上で肉をまとって霊的な活動をする上で、最も重要なのは依存心を極力減らすと言うことだと思います。
霊的修行者として、立ち上がり、歩いていくには、やはり自分自身で考え行動することが必須となります。
霊的な感性はもちろん必要ですが、それも自分自身で考えるという前提がなければ、誤って解釈してしまうでしょう。
さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング
を実践して頂き、水波霊魂学 早わかり
、わかりやすい霊魂学
、霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」)
、霊を知るために
、弁慶と弟子
、体験ー死後の世界
などをご覧になって頂ければと存じます。
神霊が至上の存在でないとしたら、神霊を信じる者としては、至上の神の存在も信じることになります。
しかし、あまりにも遠すぎる存在です。
神霊も地上の人間にとっては、あまりにも遠く、尊いという言葉では表現出来ないほど高貴な存在なのですが、神伝の法の奥の門をくぐった者としては、契約によって日々交流させて頂く存在になってしまっているようです。
霊体はそれがあまりにも恐れ多いことだとよく分かっているでしょうが、肉体はもちろんのこと、幽体もどの程度そのことを理解しているか分かりません。
なんとも情けない肉と幽ですが、それでも神伝の法を実践しているとふとした時に自分が大きく変化していることに気がつくようです。
最近は、地上の全てに対する強い嫌悪感が薄れていって、なぜか地上を受け入れ始めています。
やはり地上でなすべきことがあるのでしょう。
嫌悪感からは何も生まれませんから。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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