多くの宗教は愛とか徳とかを説きます。
「全ての人に愛を与えなさい。」
「陰徳を積めば天国に行けます。」
愛に溢れ、徳を積んでいれば、他者との摩擦は起きにくいと言えるでしょう。
それは自己犠牲によって他者に何かを与えることにもつながりますから、下らない争いに巻き込まれない可能性が高くなることを意味するのです。
当然、世間の評価としては、人格者ということになりますから、尊敬を集めます。
しかし、ご本人としてはどうなのでしょうか。
もしかすると、そのような自分を保つために大変なストレスを抱えておられるかも知れません。
地上の価値観における愛やら徳やらは、必ずしも霊的に価値が高いわけではありません。
恐らく、高級霊魂が示される愛は肉の脳で理解したり表現したりすることがほとんど出来ないでしょう。
特殊なケースで地上に生まれた方であっても、キリストでなければ、必ずしもその高い霊性を表現することが出来るとは限りません。
地上での生存競争にさらされる以上、建前やら偽善やらを表現する前にまずは自分のことだけを考える方が健全だと僕は思っています。
己の幽体や霊体がある程度成長しなえれば、祓いや霊的治療を行うことも出来ませんし、いくら高度な知識を詰め込んで、他者に説教をしようともそれ自体に霊的な価値があるわけではありません。
他者の自由意思を侵害したり、社会のルールや法律を逸脱したりすることは許されませんが、所詮、地上の人は自分自身の肉の維持が優先されるのですから、綺麗ごとを言う前に、霊的な身体を綺麗にしたほうが良いでしょう。
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まずは、自分自身が霊的に進歩向上し、霊的な感性を磨いた上で、本物の愛の一端でも感じ取り、表現するということが自然な流れだと思います。
もちろん、人には神霊につながるような高貴な光が隠れていますから、何かのきっかけでそれが突然現れ、信じられないような自己犠牲の行動をとることもあるでしょう。
そのような行為が、霊的にも極めて価値が高いということはあり得ますが、現在の地上の霊的な実態に鑑みれば、極めて特殊なケースだと言えるでしょう。
自己犠牲というのはとても価値があることですが、ものごとには順番がありますから、地上の人はまずは自分自身のことを考える方が良いと思います。
僕が想像するに、霊的に進歩向上していけば、徐々に本当の意味で他者のことを思いやる気持ちが生まれ、自然とそれが言動になって現れてくると思うのです。
もちろん、中途半端な状態で、ある意味地上の人間的な分別を持たずに頼まれもしないのに余計なことをすれば、単なる他者の自由意思を踏みにじる結果になるでしょう。
自惚れとは自分自身では全く気がつかないからこそ自惚れと言えるのですから、そのあたりの調整はとても難しいと思います。
その意味では、何ごとも場数を踏んで、経験を蓄積していくということも非常に重要なのでしょう。
その試行錯誤の後に、本物の愛とか徳とかいうものがにじみ出てくるのかも知れません。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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