751th  宗教は現実逃避 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

「お前、宗教なんかにはまる奴は現実逃避をしているだけなんだよ。弱い人間が目の前の問題から逃げるために駆け込むところだ。そんなもんに頼るようになったら人間はおしまいだ。」

僕が、霊的な世界は間違いなくあるし、それをきちんと教えてくれる霊能力者もいるはずだというような話を高校時代の友人にした時の彼の言葉です。

実は、僕は、地上の人のそのような側面については全く否定しません。

人はある面、非常に弱い存在です。

こんな地上で、苦しみ悩みながら日々生活していれば、現実逃避をしてしまうのも致し方ないことであって、そのような方法で何とか精神的な安定を保とうとされる方を非難することなど絶対に出来ません。

そして、そのようなことを非難、罵倒されておられた方々の中にも何かのきっかけで現実逃避することになったという方は少なくないのです。

人が霊的カルマの解消のために地上に生まれた以上、最初から最後まで全て順風満帆などということはあり得ないのです。

現実逃避したくなる、実際にしてしまうというのは人の本質からくるものであって、非難の対象になることではないと僕は思っています。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、水波霊魂学 早わかり わかりやすい霊魂学 霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」) 霊を知るために 弁慶と弟子体験ー死後の世界 などをご覧になって頂ければと存じます。


但し、一生ずっと現実逃避したままでは困ります。

これは特定の個人に対して申しあげているのではなく、いずれ必ず人は霊的カルマの解消に向けて、前を向かなければならない時が来るからです。

それがなければ、結局、今回地上に再生された意味が全くなくなってしまうのです。

ただ、それを全ての事情を知らない他者がとやかく言うべきではないとも思ってもいます。

絶対にやるべきではないと僕はずっと思い続けているのです。

神霊も高級霊魂も人が地上でなすべきことをせずに、下の世界に入り、更にどんどん堕ちていく自由すら認めておられます。

たかが同じ穴のムジナである地上の人間が他の方を非難したり、罵倒したりする資格など絶対にあろうはずがありません。

勝手に相手がそのようなことをやってきたら、反論するのは当然だと思いますが、頼まれもしないのにしたり顔で自分だけは超越しましたと言わんばかりに他者を批判し始めたら、それこそ終わりでしょう。

ある意味、非常に冷たい視点なのかも知れませんが、人は自分で気がつき、自分で腹を決め、自分で行動するしか霊魂としての本来の姿に戻ることは出来ないのです。

ルールを守らず周囲に迷惑をかけている場合は別としても、他者が何か出来るのは、その方がご自身なりに決断をされた上で、具体的にどうするのが良いかを相談された場合のみでしょう。

それ以外は、傲慢の象徴だと感じてしまいます。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


霊魂学をより多くの方々に知って頂くために、是非一日一回のクリックでのご協力をお願い致します。

   

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへ
にほんブログ村