霊魂学をより多くの方々に知って頂くために、是非一日一回のクリックでのご協力をお願い致します。哲学思想カテゴリーでトップ10入りをすることによって、かなり多くの方々に霊魂学を知って頂くことが出来ます。
↓
霊的トレーニングやトオゥ・ライ・シェイの参加によって、肉の脳が全く分からないところで、幽体や霊体がどんどん成長していて、霊魂から見れば、およそ地上の人間では考えられないほどのレベルまで達しているということは霊魂学の学徒ではいたって普通にあることだと思います。
もちろん、分かりもしない肉の脳がそのことと地上で生きていくことを混合して考えてしまって、一番危険な高慢になってしまえば、せっかく長い間の努力で築き上げた霊的な実績も全て失うことになるでしょう。
むしろ、中途半端に上がって、高慢になると、堕ちる速度も落ちる場所も悪い意味で桁外れになるかも知れません。
逆に着実に霊的な階段を登っていても、地上での普段の生活は苦しさにまみれていることも多々あります。
霊的カルマもあり、現在置かれている状況と言うものもありますから、一つや二つ耐え切れないほどの苦悩を抱え込んでいるとしても不思議ではありません。
霊的な進歩向上に気持ちが向いていて、具体的にそのための努力を続けていれば、守護霊や指導霊、更にその上の高級霊魂の方々は、順調にいっているなあと思われているかも知れませんが、生身の人間として生活している本人にとっては、もう毎日が嫌で嫌で嫌で仕方が無いということもあるでしょう。
実際に、僕は数年前の霊査の依頼の際に、日々の生活はこれまでで最低で耐え切れないというようなことを初めてちらっと書いたことがあるのですが、頂いた回答には、霊的な障害もないし、人間関係において霊的な悪い影響も全くないので、最悪な状況でないというような主旨のことが書かれていたことがあります。
霊的なことはそうかも知れないけれども、生身の人間としては悠長なことを言っていられる状況ではないと思ったのですが、結局、その後、基本的な状況は変らないにも関わらず、自分自身の霊的修行者としての生き方に対して、自分なりの決意をして、実際に行動を起こしたら、確かに大したことではなくなりました。
もちろん、今もその状況は続いていて、最大の悩みのたねではありますし、妻にとっても非常に大きなストレスになっていますが、気が狂うほどの苦悩というものとは程遠い程度の苦しみに変化していきました。
状況が同じで、同じ人間が受ける影響でも、これほど劇的に変化することはあるようです。
さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング
を実践して頂き、水波霊魂学 早わかり
、わかりやすい霊魂学
、霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」)
、霊を知るために
、弁慶と弟子
、体験ー死後の世界
などをご覧になって頂ければと存じます。
人がそれぞれ置かれた状況と言うのは何度も書いているように、他者からしたら、まだまだましだよとか、なんでそんなことで悩むのか分からないと言われても、当人にとっては命を絶ってしまいたいほどの苦悩だということは多々あり得るのです。
だから、簡単に他者に対して余分なことは言うべきではないのです。
ただ、このような苦悩というのは、結局、自分自身で乗り越えていくしかありませんし、霊的修行者であれば、それも大切な修行の一環となる場合が多いのですから、自らの努力でなんとかするとか、場合によっては大きな決断をするとか、何らかの形で解決出来るよう努力するしかありません。
それは、本質的には誰にも分かってもらえないことですし、誰にも助けて盛られないことだからです。
しかし、霊的修行者であれば、支部の集会で先輩や仲間に相談したり、あるいは愚痴を言ったりすることで気を晴らしたり、自分なりに工夫するヒントをもらったりすることが出来ると思います。
支部集会と言うのは、霊的トレーニングの作法とか、霊的障害の相談をするだけの場所ではないからです。
人生の一般的な悩みも霊的修行者にとっては、日々の生活における修行の悩みでもあるのですから、単にトオゥ・ライ・シェイであるというだけでなく、本部主催の霊的集会とは違う用途もあるということを知っていて頂ければと思います。
もちろん、僕自身も人生に悩む未熟な修行者ではありますが、相談を受ければ出来る限りのアドバイスはしたいと思っています。
孤高の修行者として本当の意味で大成するには、僕たちはあまりにも未熟過ぎると思うのです。
やはり、大きな意味では霊的な修行は一人だけでやれるものではないと感じています。
孤高の修行者となり得るのは、キリストやそれに準じるような偉大な魂が通常とは全くことなる経緯によって、地上に生まれたという場合にのみ通用する話なのでしょう。
地上の人間社会で生活をしながら霊的な活動をする以上、普通の人間社会のことを良く知って、そこから乖離することがないようにしなければ、本来の目的を達成することは出来ないのだろうと思っています。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。