霊魂学をより多くの方々に知って頂くために、是非一日一回のクリックでのご協力をお願い致します。哲学思想カテゴリーでトップ10入りをすることによって、かなり多くの方々に霊魂学を知って頂くことが出来ます。
↓
昨夜、あみが4匹の赤ちゃんを産みました。
病院での出産は受け付けていないということでしたので、自宅で巣箱を用意しての出産でした。
あみは自分でへその緒も切りましたので、比較的順調な出産だったと思います。
今のところ母子共に元気ですが、まだしっかり母乳が出ないので、もしかしたら哺乳瓶で育てなければならないかも知れません。
哺乳瓶で育てるとなると大変です。
哺乳類の出産というものは初めて生で見ましたが、確かに神秘的な感じがします。
産まれた子供に対するあみの本能による行為を見ていると、物質界の生命と言うものは本当に不思議なものだと感じさせられるのです。
幽体を持つ犬がどんな理由で地上に誕生し、10数年経つと幽質界に入っていくのか僕にはよく分かりませんが、どうやら人という霊的存在が地上に降りたことと関係が深いようです。
さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング
を実践して頂き、水波霊魂学 早わかり
、わかりやすい霊魂学
、霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」)
、霊を知るために
、弁慶と弟子
、体験ー死後の世界
などをご覧になって頂ければと存じます。
生物の生と死に意味があることを日々の生活で知る方は多くありません。
生殖よって誕生し、寿命が尽きると死んでしまう地上の生物。
人の人生はいろいろな境遇をばねにして生き抜くことに意味があるという方もいらっしゃいますが、死で全てが終わりになり、その先に無しかないのであれば、苦しみや悲しみを乗り越えて寿命を全うすることだけに意味があるという考え方には無理があるように思います。
何か地上で生きることに無理やり意味を持たせることはおかしいと仰る方もいらっしゃるようですが、単なる希望的な想像とは異なるものを僕は霊的な感性で感じているのです。
人は、地上において肉体を着ているだけではなく、幽体もだぶって持っていますし、成長の度合いはともかくとして霊体もどこかに持っていますので、物質的な感覚だけが全てを支配しているわけではないのです。
だから、霊的な何かを感じますし、霊的に生きていないことに対する罪悪感のようなものを感じているはずなのです。
物質的な価値観でどれほど恵まれ、全ての願望を叶えたように見える人であっても、人にとって最も本質的な部分が満たされない限り、幸福感を得ることは難しいのだと思います。
それは、全てを得てしまったことから、後は失うだけだという恐怖とは異なるものです。
人は霊的に進歩向上を目指さない限り、真の幸せは得られませんし、そのためには自分自身で考えて、何らかの努力をしなければなりません。
行動なきところに幸せはないというのが僕の考えです。
「幸せは歩いてこない。だから歩いていくんだよ。」
昔の歌謡曲にもそうありますよね。
大切なことは唯ひとつ・・・・・・。