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昨日は字数制限もあって訳の分からない抽象的な話のままで終わってしまいましたので、今日は少し具体的なことを書かせて頂きます。
僕は物質である肉体を着て、地上で生活することにはとても深い意味があると思っています。
もちろん、原罪によって人という霊的生命体は勝手に地上に降りたのですが、地上には秘密があると思っているのです。
その理由として、魂(たましい)を構成するのは、幽体、霊体、神体の三つの霊ではなく、肉体の霊も加わっているということがあげられます。
もちろん、魂(たましい)のことを物質である脳で考えてもわかるはずがないのですが、肉体の霊については、ある程度肉の脳を使って努力することが出来るのではないかと思っているのです。
もっと、具体的に言えば、人は地上では肉を着ているがゆえに肉を維持するための馬鹿馬鹿しい苦悩を味わい続けます。
肉の苦悩は次から次へとやってきて、霊的に生きたくても、それどころではなくなってしまうことが少なくありません。
実際に、せっかく霊的修行者となられても、苦悩に押しつぶされてしまう方がいらっしゃるのです。
しかし、この肉特有の苦悩というものが僕はキーワードだと思っています。
苦悩が無くなるということはないでしょうが、ある程度苦悩を克服することは可能だと思うのです。
シンプルな話ですが、実際には過去世から霊的カルマや育った環境などさまざまな要素があるので難しいことなのですが、地上で肉を着て生きることの大きな目的は苦悩を克服することだと思っています。
魂(たましい)は、四つの霊の総体なのですから、神伝の法によって、幽体や霊体や神体だけを成長させても、肉体の霊の成長が伴わないと最終的には上手くいかないような気がするのです。
さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング
を実践して頂き、水波霊魂学 早わかり
、わかりやすい霊魂学
、霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」)
、霊を知るために
、弁慶と弟子
、体験ー死後の世界
などをご覧になって頂ければと存じます。
優先されるべきは、神伝の法の実践ですが、それと一緒に地上での生活の苦悩を克服しなれば、あるところから先には進めないのではないでしょうか。
そして、霊的トレーニングを積み重ね、地上の苦悩も克服できるようになった時に初めて次の段階に進めるのだと思います。
自分のことがある程度出来るようになったら、次は「汝と同じように、汝の隣人を愛せよ。」ということになるのでしょう。
しかし、これは自身の苦悩を乗り越えるよりもはるかに難しいことです。
どんな隣人であっても愛さなければならないということは、激しい苦痛を伴うからです。
そして、愛すると言っても、相手から依存されるようになってしまっては本末転倒になります。
それは、相手の方の霊的進歩向上を阻害することになるからです。
したがって、「隣人を愛せよ」と言っても、せいぜい出来ることは、「何度でも許す」ということくらいではないかと思っています。
これも非常に難しいことですが、結局、他者との関係においては、「許す」ということに尽きるのではないかと僕は思っています。
魂(たましい)を進化させることは容易なことではありませんね。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。