600th  別人 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

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地上にいる人という霊的生命体は自分自身の正体さえ全く分かっていません。

何度も書いていますが、今地上にいる分身たる自分にでさえ、肉体の個我と幽体の個我と霊体の個我と特殊な修行をした人には神体の個我があり、更に自分の本体やその前の本体やその前の前の本体云々が幽質界に存在して、総体とも言える魂があり、極めて複雑で巨大な存在が自分なのです。

そして、僕が思うに、今地上にいる自分は、過去世における本体と金太郎飴のように同じコピーの存在ではないはずです。

地上での肉体が異なりますし、それぞれの本体ですら、魂のほんのわずかな一面が表現されているに過ぎませんから、その部分がより多く表現されているかとなると個々によって異なると考えるのが普通だからです。

従って、地上にいる自分は何者とも違うけれども、大きなくくりでは巨大な何かのほんの一部でしかないわけです。

それが人という霊的生命体の正体であり、僕にとっては大きな謎なわけですが、いずれにしても、ほんの一面が表現されているに過ぎない自分と言う存在を冷静に見つめ直すということが重要だと思います。

そうすると、地上において物質界の価値観のみで、自惚れてみたり、自己嫌悪に陥ってみたりすることが、いかに馬鹿馬鹿しいかということが少しだけでも理解して頂けると思います。

本当の自分は、今地上で生活している自分とは別人と言うほど異なっている部分ばかりあるのですから、たかだか100年未満のほんの短い地上での生活において、地上の価値観のみである意味本物とは言えない自分自身を判断しているのです。

そして、自分自身ですらそのような判断をしているのですから、人が他者を判断した時に、正しい基準を用いているということなどあり得ないのです。

まさに、下衆の勘繰りで、自分のことすら全く分からないのに他者の価値を自分の勝手な基準で決め付けるということがいかに不遜かということがわかってもらえると思います。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学 霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」) 霊を知るために 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。


いずれにしても、地上に今自分自身が存在していることは事実ですので、自惚れることなく常に自己を顧みるということは霊的な進歩向上にとって絶対に必要なことです。

ただし、何でもかんでも卑屈になる必要も無く、地上に生まれている人間同士は、地上に生まれているという事実において、霊的にはさほどのレベルの違いなど無いということも、よく理解して頂きたいと思います。

もちろん、霊的なレベルというものは、魂の進化の度合いで人それぞれ異なるのですが、基本的にはそのような修行を日々行っている方のほうが何もされずに唯物論に凝り固まっておられる方よりも高いでしょう。

そして、その修行が霊的トレーニングであれば、飛躍的な進歩をしておられる方も多いでしょう。

数年、霊的トレーニングを続けているだけで、明らかに一般の方とは異なる、言わば地上の人とは思えないようなオーラを出しているようですので、霊体までもかなり成長しているとなると、想像を絶するような霊的な状態になっているのでしょう。

しかし、地上で生きる以上は、肉を着た動物としての人間であることには変わりませんから、自惚れる要素などありません。

むしろ、それだけ凄いならば、その状態であることを何に使うのかが問われると僕は思っています。

地上の人間では通常考えられない高い霊的レベルにあるのであれば、そうなっている理由は何かということです。

全ては自由意思ですが、もう時間はありません。

すでに、1年半以上、時間がないと言い続けていますが、事態は動き続け、もうそろそろと感じています。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。