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霊魂学の真偽については、議論の余地は全くありません。
物質界の法則、特に多くの方々が最も重視する科学によって証明が出来ないことだからです。
そして、あえて科学的な結論を出すのであれば、霊魂学が事実である証明は出来ないが、事実でない証明も出来ない。
あとは、日本においては思想の自由があるわけですから、個々が判断して、信じるか信じないかを決めるだけのことです。
更に、霊的修行者となる道を選ぶか、信じるけれども諸事情によって霊的トレーニングを学んだり、霊的集会に参加することが出来ないのでその道を選ばないかの選択があるだけです。
加えて、霊的修行者として何をなすべきかについては、全くの自由ということになります。
最も本質的なことである霊的トレーニングの実践やトオゥ・ライ・シェイへの参加ということを全くされないという方もいらっしゃいますし、どちらにおいても皆勤賞という方もいらっしゃるでしょう。
他者に迷惑をかけないのであれば、全く自由に判断し、選択し、行動したり行動しなかったりすれば良いのです。
そこには議論をする余地は全くないのです。
そして、ほとんどの方はあと100年もすれば亡くなっておられるでしょうから、その時にははっきりと答えが出るのです。
議論などしなくてもすぐに答えは分かります。
あの世などなく、人が霊的な生命体でなければそれで何もかも終わりです。
人が霊的な生命体であれば、更に霊魂学が正しかったか正しくなかったが明らかにされるでしょう。
霊魂学が正しければ、その内容通りに住む場所や環境が決まり、あちらの世界の法則で嫌がおうにも全てが絶対的に決まるだけのことです。
それを決めるのは、地上で何を信じ、何を決断し、どんな行動を取ったかということだけなのです。
全ては自由意思であり、自己責任であり、理屈を言っても不満を言っても何をどうしてもあちらに行けば法則通りになるのです。
さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング
を実践して頂き、わかりやすい霊魂学
、霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」)
、霊を知るために
、弁慶と弟子
などをご覧になって頂ければと存じます。
あちらの法則は地上での自由意思の行使の内容で決まるのですから、ある意味とても公平だと言えるでしょう。
確かに、人は地上に平等には生まれてきません。
しかし、霊的に目覚めるために地上に生まれた以上、誰にでもそのチャンスはあるようですし、地上の価値観において悲惨極まりない人生が、実は逆に霊的に目覚めやすい、極めて有利な環境だったりするわけで、一番重要なことを地上の価値観だけで判断すると大きな間違いを犯します。
いずれにしても、どんな環境で生まれ育とうが、霊的に目覚め、霊的に進歩向上するために行動を起こさなければ、生まれてきた意味がないわけで、霊魂学の学徒の立場で申し上げれば、その一言で全てを言い尽くせるということになります。
一刀両断。
すぱっと決断してやるかやらないか、です。
このことは、霊的修行者となった後にも言えるわけで、自分が必要だと思うことを考えて、あとはやるかやらないか、だけなのです。
「求めよさらば与えられん。」
求めよとは、祈り、願えということではないようです。
求めよとは、そのための具体的な行動をせよということのようです。
自分で考え、自分で決断し、行動すれば、その行動に応じた霊的な何かが与えれるということです。
求めるものが大きければ大きいほど、それに応じた決断と行動が必要となるでしょう。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。