今年は大きな天災がいくつもあったこともあり、年末になると人類は不遜になった、自然への畏敬の念が無くなった、今一度反省し生き方を考え直すべきだ、というような論調がテレビ番組で目立っているような気がします。
もちろん、そのことはその通りなのでしょうが、文明がここまで発展してしまった以上、時代を後戻りするような生活をすることは無理でしょう。
夏には節電のために扇風機が品切れになるほど売れたりしましたが、その程度の後戻りがせいぜいで、経済競争という名の生存競争を動物である地上の人が止めるということはあり得ませんので、これまでとは多少形を変えながらも文明はどんどん進んでいくでしょうし、自然の破壊が急速に止まるということはないでしょう。
自然の破壊は、蛸が自分の足を食べるようなものですから、一方的に破壊し続けるのではなく、循環するよう工夫をすべきなのでしょうが、コストの問題もありますので全ての国の足並みが揃うということはありません。
また、今年の漢字には絆が選ばれたように、個人主義から協調へと生きる価値観が変わったという方も多いようです。
人と人が絆で結ばれ、お互いが協力し合う社会は素晴らしいと思います。
出来ればそのような社会で人間関係がギスギスすることなく生きていければと思います。
しかし、結局、地上の人間が物質的に生きる限り、常に競争が起こり、協力出来ずに争いが起きてしまうのです。
人がいかに知的レベルの高い生命体だと言っても、動物の体の中に入ってしまえば、動物の本質から抜け出すことは出来ないのです。
戦前の日本では現代よりもずっと助け合う仕組みが小さなコミュニティーの中に出来ていました。
しかし、実際にはその日本人が霊的に目覚め、霊的に進歩向上することはありませんでした。
物質的な利益を求めて戦争をして、その戦争に負けることによって、より物質的であることが重要だと全く逆の方向へと突き進むことになっただけです。
回顧主義的な雰囲気が出てきていますが、そのことが霊的に見て、正しいとは言えないだろうと僕は思っています。
さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング
を実践して頂き、わかりやすい霊魂学
、霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」)
、霊を知るために
、弁慶と弟子
などをご覧になって頂ければと存じます。
時間は常に進み、生活環境も既成事実が出来てしまっていますので、昔の生活に戻ることなど出来ませんし、それが霊的に必要だとも思えません。
もちろん、大昔であれば、よく分からないまでも神への畏敬の念がありましたし、何か物質的なものではないものを感じて、それに敬意を払っていました。
そのことは非常に重要で、それがどんどん無くなってしまった現代は最悪の状態を迎えていると思います。
しかし、本当に反省するのであれば、何度も同じことを書きますが、事実を知ろうとしなければなりません。
事実を知って、実態を認識して、そこから反省ということが始るのです。
漫然と、結果が良くないから反省しますでは、本当の反省など出来ません。
物質的ではない何かをないがしろにしていることが人類を最悪の方向へと向かわせていると感じるのであれば、まずは物質的ではない何かの実態を知ろうとしなければならないのです。
昔、反省するなら猿でも出来ると言う言葉が流行りましたが、反省するフリを何百回、何千回しても、物事が良い方向へ変わることなどあり得ません。
僕は、人類の歴史は、過ちの歴史であり、それを教訓にして反省しているフリをする歴史なのではないかと思っています。
だから、どんどん底なし沼にはまっていってしまったのです。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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