562th  大阪都構想 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

明日から橋下新大阪市長が登庁しますが、今回の市長選は醜悪極まりないものでした。

そもそも選挙というのは、既得権益と新しい権益が激しくぶつかり合い、地上の人間の一番醜い部分が浮き彫りにされるものですが、それにしても今回の市長選は酷いものでした。

何が酷いかと言うと、選挙直前から、明らかに意図的に橋下叩きをマスコミが始めたことです。

もちろん、裏で魑魅魍魎が動いたのですが、それにしても選挙に関しては公平さを担保するために、過度なまでに報道を自粛する大マスコミが、今回は明らかにその逆のことをやったのです。

更に、歴代市長を洗脳して単なる人形に仕上げてきた市のハイエナ幹部連中は、公務員として絶対にやってはいけない組織的な政治活動をまたしても行い、今回はそれが白日の下にさらされました。

また、集票マシーンとして動いてきた地域振興の補助金に集ってきた蛆虫のような連中の既得権益も白日の下にさられました。

橋下新市長が唱える大阪都構想は、今なお具体的なものではなく多くの批判があり、その手法についても批判されています。

そして、大阪都構想そのものは行政改革であり、支出の無駄をカットするということが目的ですから、それがある程度理想に近い形になったとしても、大阪府や大阪市の経済復興に直接的な効果があるわけではありません。

最終目標は、大阪府と大阪市の経済復興にあり、副首都としての機能を行政面、経済面、文化面でも担おうというものです。

大阪維新の会の主要メンバーは、もはや落ちるところまで落ちて、既得権益が複雑極まりないほど入り組んだ大阪を何とかしたいという強い思いがあるようです。

失敗するというリスクは極めて大きいのですが、そこには、ここまで状況が悪化してしまえば、リスクをとってでも何か手を打たなければ死を待つだけだという切実なる危機感があるのです。

霊的な面で人類の歴史を考えると、もはや危機などと言う言葉をあてはめて慌てるフリをしていられるような状況にはありません。

至上の神に最も近い高貴な方が、至上の神に逆らって地上に降りて、何とか人類を救おうとされましたが、人類の自由意思が本当の意味で救われることを望まないのですから、キリストであってもどうしようもないのです。

最後の希望の光というべき契山館が出来てからも、地上の霊的な状況は物凄い勢いで悪くなり、5年前に通用したことさえも今は通用しなくなってしまっています。

そして、どのような高貴な存在であっても地上に生まれた以上、地上にいらっしゃる時間は限られているのです。

神霊の光は風前の灯なのです。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」)霊を知るために 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。


僕がこの世で最も恐ろしいのはこの状況を知る方は皆無に近く、また知っていたとしても本当の意味で危機感を持っておられる方は多くはいらっしゃらないだろうということです。

ここまで追い込まれたらリスクを取ってでも何か一歩踏み出して、これまでとは違うやり方を考え行動すべきだというのが僕の強い思いです。

もちろん、自由意思なのでそんな馬鹿げたことを考えなければならない義務は誰にもありません。

ただし、リスクを取らない人間が、リスクを取って失敗する人間に対して、「それ見たことか」と嘲り笑ったり、侮辱したり、陰で悪口を言ったり、見えないところで足を引っ張ったりする権利などは絶対に無いと言うことだけははっきりと申し上げておきます。

リスクを取る者が、多くの間違いを犯すのは当然なのですから、リスクを取らない方がそれを正すことは絶対に必要です。

しかし、それをするのであれば、正しい方向に軌道修正出来るよう、その目的を果たせるようなやり方と言うものがあるはずです。

そうでなければ、それは単なる妨害に過ぎません。

大阪市長選の醜悪な有様とどこに違いがあるのでしょうか。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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