550th  恐怖 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

僕は、恐らく冷静を保てるタイプだと思いますし、特にここ数年は自分でコントロールできないほど感情が動いたということはほとんどありません。

しかし、これだけ天災や人災が続くと、いつそれに巻き込まれるか分かりませんし、経験したことの無い天災に直面すれば、動揺するだろうと思います。

もちろん、死に対する恐怖もあります。

特に、訳が分からないうちに、一瞬で死んでしまえれば楽だと思いますが、生きるか死ぬかというギリギリの生活をさせられて、長い期間、死の恐怖を味わうことは、嫌だなあと思っています。

それは、肉の身体を持っているために、肉は物凄い勢いで、肉を維持することを主張するからです。

肉の脳はとにかく、一秒でも長く地上で生きることを望むのですから、それに反することは想像を絶する恐怖となるわけです。

宗教や何たらセミナーによっては、死の恐怖を取り除こうとするものがあるようですが、本質的な解決には至らないでしょう。

人は死生観を明確に持てば、多少死への恐怖は和らぐかも知れませんが、肉の脳はそんなことでは納得しません。

「死にたくない。」

これがあらゆることを差し置いて優先されます。


人が地上に生まれ、ほとんどの方が100年足らずで死を迎える以上、物質界に再生されたからには、死というものを真剣に考えるべきだと僕は思っています。

もちろん、自由意思なので、個別具体的に僕が何かをすることは出来ませんが、肉体が終わりを迎えようとする時になってからでは、遅いと言うことも少なくないでしょう。

霊的トレーニングを始めるにあたって、遅すぎるということはありませんが、単純に考えれば、早いほうが良いに決まっています。

死について考えることは、何のために地上に生まれたかを考える良い契機になると思っているのです。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」)霊を知るために 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。


霊的修行者として日々霊的トレーニングをしていても、人の心は日々変わっていきます。

霊魂学の視点で申し上げれば、地上に神伝の法が示された以上、今地上で生きている方々は、霊的トレーニングを実践し、霊的集会などで一人では受けることが出来ない高い力を受け、霊的に進歩向上するために生まれたのだと言っても過言ではありません。

そして、修行が進んだ方の中には、もはや自分自身の個人的な修行よりも、より多くの方々が霊的に目覚め、霊的トレーニングなどの実践によって、真の幸せを掴んでもらいたいと思って、そのための活動を続けてこられておられる方もいらっしゃいます。

そのような方々にとっては、肉体の死とともに、地上に示された神伝の法が、伝承されなくなってしまうことも大きな恐怖となっているでしょう。

僕たち霊魂学の学徒は超能力を目指す集団ではありませんから、地上の法則や人が作ったルールの枠の中でしか行動しませんし、地上の天災や人災を神霊の御力によって都合良く避けることも出来ません。

大きな意味では守られているのでしょうが、地上のことに対して、高貴な存在が100%の確率で何かをするということは不可能なのです。

修行法というものは人から人へと直伝で伝えていくものですから、その方法が無くなってしまえば、それを後世に残すことは出来ません。


残念ながら今のままでは、師がいらっしゃらなくなれば、それで終わりになるだろうと僕は個人的には思っています。

何かが用意されているのかも知れませんが、それをあてにして時間だけを貪り食うわけにはいきません。

人類の本当の恐怖はそこにあります。

そして、その事実を知る方が皆無に近いということがそれよりも更に怖いことなのです。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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