昨日は、水の禊が基本中の基本だと書きましたが、この十数年で状況は変わりました。
元々、神伝鎮魂法初伝も重要な霊的トレーニングなのですが、今やその重要さは水の禊と同じだと感じています。
いや、むしろ、あえてどちらを優先すべきかと問われたら、僕個人としては神伝鎮魂法初伝ですと答えるでしょう。
理由は単純です。
地上があまりにも汚れすぎて、低い幽気が満ち溢れて、それを治癒する手段が皆無と言っても良い状態だからです。
しかも、現在は、天災や人災で、どなたであってもいつ命を落とすことになるか分かりません。
このような状況では、他界した際に、最低でも上層幽界に入るということが最優先されるべきだからです。
ギリギリ上に行くか下に行くかということが、まさに霊魂としての運命の分かれ道で、その重要さは言葉で表現出来ないほどです。
だから、今、地上に再生されている方々は、とにかく、幽体を健全にして、幽気や間気を常に正常な状態に保たなければならないのです。
地上でのいかなる重要なことよりも、最優先されるべき課題がこれなのです。
いや、地上においてこれ以外に絶対に必要だということはありません。
もちろん、霊的カルマの解消は極めて重要ですが、いつ他界するか分からないのですから、まずは下の世界に入らないということが優先されます。
下に入ってしまうと、霊的に進歩向上する機会が永遠に失われてしまう可能性があるからです。
上に行けば、再生の可能性もありますし、そもそも神伝の法を1週間でも実践すれば、一生をかけて他の修行をされて、悟りを開いたとされる方よりもはるかに霊的なレベルは高くなっていますし、一度、神伝の法の光を浴びていれば、それがその方の魂に染みついています。
どなたも信じられないのでしょうが、実は、神伝の法とはそのようなもので、神霊の御力というのは、地上の人間の想像などはるかに超えているのです。
神霊からの甘露をたった一滴でも飲んでいるか否か。それだけで、決定的な違い生じるのです。
残念ながら、地上において人という霊的生命体は、極めて不平等な状況に置かれているようなのです。
さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング
を実践して頂き、わかりやすい霊魂学
、霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」)
、霊を知るために
、弁慶と弟子
などをご覧になって頂ければと存じます。
死は悲しいものです。
我が家の愛犬が他界しても、僕と妻は号泣するでしょう。
人間の死であれば、それと比較することが出来ないほどの悲しさが襲ってきます。
しかし、死は必ず訪れます。
地上で考えられるありとあらゆる物を手に入れた中国の皇帝も結局不老不死だけは手に入れることが出来ませんでした。
彼は、不老不死が手に入らないという苦悩の中で死を迎えたでしょう。
僕は、人は出来る限り生き抜くべきだと思っています。
生きている限り、地上での本当の目的に気がつく可能性があるからです。
他界して、下の世界に入ってしまったら、もうどうにもなりません。
だから、人は寿命がある限り生きるべきなのです。
しかし、同時に死というものは絶対的なのですから、地上の人は死について何よりも優先して考えるべきなのです。
地上において、死ぬということは何を意味するのか。
地上の人々は、自由意思を行使して、それに対する結論を自分なりに出すべきなのです。
死を突き詰めていけば、多くの方々に霊的に目覚めるチャンスが訪れると僕は思っています。
その時に、何とか神伝鎮魂法初伝を見つけてもらえれば・・・・・。
そして、何かを感じたら、即座に行動して下さい。
時間がないのです。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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