ウィキペディアによると現実とは目の前にある事実のことを言うそうです。
ということは、事実では駄目で、すぐ近くで目で確認できなければならないということになります。
僕たちは物質界に生まれ、日々、現実を向かい合って生きています。
電気や電波や磁気や引力などは、目で確認出来ませんが、科学で証明出来ており、応用して生活のために使えているということでその存在を疑う人は誰もいません。
物質界にいる以上、目に見えるもの、耳で聞こえること、人間が物理的にコントロールできることのみが現実だというわけです。
考えてみればそれが普通なのです。
あの世があるだの、霊魂が存在するだの、幽体が傷ついていると死後下の世界に行ってしまうだの言われても信じられるわけがありません。
しかし、なぜ人は生まれてくるのでしょうか。そして、どこへ行くのでしょうか。
肉体を維持するためには食事と睡眠と体を休める場所が必要です。
そのために、人々は嫌でも何でも働かなければなりません。
全く自由に生きることなど出来ないのです。
何か違和感を覚えませんか。
当たり前になっている現実の生活だけが全てなのでしょうか。
数年、数十年経てば、どんなに一生懸命肉体を大切にしても、必ず肉体は滅びます。
死なない人はいないのです。
死んだら全てが終わりだということに違和感を覚えませんか。
地上に生まれ、食事と睡眠のためだけに数十年生きて、それで終わり。
僕にはどうしてもしっくりこないのです。
さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学 、霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」) 、霊を知るために 、弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。
だからこそ、僕は紆余曲折を得ながらも、今は霊的修行者となり、霊魂学の学徒として日々生活しているのですが、霊的なことを信じない方にとっては異常とも言える生活なのでしょう。
自分でもそう考える方がおられるのはとても自然なことだと思います。
しかし、僕はどうしても唯物論や無神論を取ることが出来ませんでした。
世に言う霊能力者と言われる方々に失望感を覚えながらも、神やあの世を否定する気持ちは全く起きなかったのです。
なぜか、それが僕にとっての現実だったからです。
霊的にとても危険な時期が何度もあっただろうと想像されますが、なぜか守護霊や指導霊の方々と完全に切れてしまうことはなかったと思っています。
どうしても神やあの世を否定できないという僕の中の何かがぎりぎりのところで、踏みとどまらせたのでしょう。
人はそれぞれ事情が違うのですから、実は現実というものは非常に主観的な物なのかも知れません。
あなたの現実とは何ですか。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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