日本の武将では僕が一番好きな人です。半兵衛は通称で、本名は竹中重治です。
彼に対する霊的な評価は全く知りませんが、僕の肉の脳はこの方が大好きなようです。
美濃斉藤家の家臣だった半兵衛は、主君を戒めるためにたった16人で、織田信長が長年攻略すること出来なかった稲葉城(のちの岐阜城)を制圧し、しばらくしてからそれを君主に返すという信じがたいことをやり、天下にその名を知らしめました。
その後、織田信長の家臣となり(ドラマではよく羽柴秀吉の家臣のように描かれていますが、実際には織田信長の家臣で、同僚である軍の監査役として秀吉の軍に従軍していたようです。しかし、その際に秀吉の参謀の役割は果たしたようです。)、姉川の戦いでは調略活動で活躍し、秀吉の四国攻めにも参加しました。
半兵衛のエピソードで僕が最も印象に残っているのは、自らと共に「二兵衛」と称されるもう一人の軍師である黒田官兵衛(黒田孝高)と二人で酒を飲んだ時の話です。
当時は、まだ売り出し中であった官兵衛が、うれしそうに秀吉が手柄の褒美にと官兵衛の将来の出世を約束する旨を書いた証文を半兵衛に見せると、半兵衛がその場でその証文を破り捨ててしまったのです。
激怒した官兵衛に半兵衛は言います。
「人の約束など反故されるのが当たり前と考えねば、将来それが実現しなかった時に禍根を残します。こんなものを持っていて良いことなど一つもありません。人の心は変わるものです。」
調略の天才であった半兵衛は人の心をよく知っていたのです。
ところが、その後、信長に対して謀反を起こした荒木村重の説得に赴いた官兵衛が地下牢に閉じ込められたため、謀反に加担したと見た信長が官兵衛の嫡男松寿丸(のちの黒田長政)の殺害を命じた時にはその言葉とは反対の行動をとります。
官兵衛が寝返るはずがないと思った半兵衛は、後のことを考えて、松寿丸を自分の領地にかくまいます。
1年後、官兵衛は救出されるのですが、信長は官兵衛に会わせる顔がないと殺害を後悔したそうですが、その後、松寿丸が生きていることを知ると大喜びしたそうです。
人という霊的生命体は、肉を着ると己の都合を最優先にしてしまいますが、時として己の犠牲も省みずに他者を助けることがあります。
普段は隠れていますが、奥底に隠れている神霊につながる尊い光が垣間見られる時があるのです。
幽体の意識は、まさにストレートに自己保存が表に出るようですから、地上で肉を着て生活することには、不思議な深い意味があるように思えます。
神の経綸は肉の脳で理解出来るはずがありませんが、人という霊的生命体が地上に降りたことは、原罪というだけでは言い切れない何かがあるような気がしてなりません。
さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学 、霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」) 、霊を知るために 、弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。
とは言っても、日々の生活は苦しいものです。
時として、喜びを感じたり、達成感を感じたりすることはあるでしょうが、大部分は苦悩に満ちています。
労働することは、身も心もクタクタにさせますし、専業主婦であってもそれは同様です。
肉がある以上、肉特有の苦悩から完全に逃れることが出来る人は誰もいないのです。
唯物論であっても、いかなる宗教を信じても、結局人は自分自身で歩いていく道を切り開いていかなければなりません。
結局、本質的な意味では誰も助けてはくれないのです。
だから、自由意思を行使するしかありません。
そして、その結果は全てが自己責任として跳ね返ってきます。
肉を着ていれば苦しいのは当たり前なので、そのことを前提として、そのことをきちんと受け入れた上で、己の人生をいかに生きるかを考えるしかありません。
あの世があるとすれば、自ら死を選んだとしても何も解決しません。
問題がまた先送りになるか、今度は再生されることがないほど下の世界に落ちてしまうかなのです。
だから、人は霊的真実を求めるしかないのです。
それしか救われる方法はありません。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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