485th  徳 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

徳とは、辞書によると「修養によって得た、自らを高め、他を感化する精神的能力。」「精神的・道徳的にすぐれた品性・人格。」「身に備わっている能力。天性」といった意味があるようです。

徳がある人は世の中で尊敬を集めますし、徳の高い人と接することによって人は癒されたり、希望を持ったりすることもあるようです。

地上では徳を積むことは、人として最高のこととされています。


霊魂学的な視点で考えても、徳はあった方が良いでしょう。

そもそも、徳がある人は、人間関係が悪くなる可能性が少ないので、それだけでも大きな意味があります。

地上の人間には妬みやひがみと言った強い感情がありますから、どんなに徳が高いと言われる方も逆恨みはあるでしょうし、有名になれば必ず多くの人に妬まれます。

しかし、徳がないと言われる方よりはずっと人間関係が上手くいく可能性はあります。

霊的修行者であっても日々の生活はとても大切ですし、人間関係の悪化でボロボロになりすぎたり、社会からはみ出たりすることは良いことではありませんので、霊魂学的な視点で考えても徳はあった方が良いと言えるかも知れません。


ところが、ここで注意する必要があります。

徳があり、社会的な名誉がどれほど高くても、霊的な状態とは直接関係はないということです。

なかなかこのあたりのことが理解して頂けない方がおられます。

「人格者で、社会的な貢献が多大であった方が、なぜ死後地獄へ落ちるのでしょうか、あり得ない話だし、絶対に納得できない。」

と言われてしまうのです。

死後、どの世界に入るかは、もう何万回も書いている通り、幽体の状態で決まってしまうのですから、徳が高かろうが、歴史上最高の尊敬を集めていようが、地獄へ落ちるような状態だったら、誰が裁くわけでもないので、勝手にその世界にい吸い込まれていくのです。

だから、徳を積むことも良いことだけども、死後の世界(幽質界)が人の本来の住処であるという考えに立てば、まず優先してやることは、幽体を健全な状態にしておいて、少なくても上層幽界に入れるようにしておいて、死後、出来ればご自身の守護霊や指導霊と会えるようにして下さいと申し上げているだけなのです。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」)霊を知るために 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。


僕のように徳がない人間は、徳があればもう少し楽に生きていけるのになあと思ってしまいますが、そんな大そうなものは身につくことはありません。

もちろん、霊的修行者ですので、他の方から見られた時にアウトローだとか、奇人変人だとか思われないようにはすべきと思いますが、それ以上のことは無理です。

意図的にそうされようとしておられる霊的修行者もいらっしゃいますが、僕には絶対出来ないことでしょう。

無理にやると偽善が丸出しになってしまいます。

僕は僕に出来ることを常に考えながら実行していくしかありません。日々、自分の無力さや情けなさを痛感させられますが、そこでくよくよしていても何一つ状況は良くなりませんので、とにかく前をしっかりと見て歩んでいくしかないのです。

そして、同じ方向を向いて一緒に歩いていける仲間が一人でも増えてくれれば良いなあと日々願っています。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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