430th  霊的に目覚める | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

妻が突然こんなことを言いました。

「ブログに書いてあることで基本的なことでわからないことがあるんやけど。」

「何?」

「霊的に目覚めるってどういうこと?」

「一言で言えば、霊的に目覚めるというのは、霊魂の存在やあの世の存在を信じて、霊的カルマを解消したり、霊的な進歩向上を目指すようになることかな。」

「私は霊的に目覚めてないような気がする。」

「毎日、霊的トレーニングをして、トオゥ・ライ・シェイや支部集会に参加しているだから目覚めてるんでしょう。」

「そうかなあ。目覚めてないんと違うかなあ。」


僕がよく霊的に目覚めて欲しいと書いているので、妻は、具体的にどんなことがそれに当てはまり、自分自身はどうなのかということが気になったようです。

確かに、僕や他の契山館会員の方々のように、どうも霊的な世界はあるような気がする、真実とは何なんだろうか、本物はどこにあるのだろうかと探し続けて、契山館に行き着くというケースばかりが、修行者となるきっかけではないでしょう。

結果的に、霊魂学に出会い、実際に霊的修行者として生きることを決めるというまでに至れば、霊的に目覚めたと言っても良いでしょう。

日々の忙しい中で、比較的短い時間とは言え、霊的トレーニングに時間を使い、金銭的に余裕があるわけでもないのに、合宿や遠方のトオゥ・ライ・シェイに参加しているということは、物質的な生活の中で、霊的に生きることを優先している部分があるのですから、それでいて霊的に目覚めていないということはないと思います。

妻は、会員になっていない方でも、真剣に霊的な真実を求めている方はおられるので、そのような方が霊的に目覚めているのであって、自分は違うんじゃないかと言っていますが、そんなことはないと僕は思います。


確かに、霊的な真実を真剣に求めるという気持ちは、非常に重要な要素ですが、やはり実践が伴わなければ、あまり意味はないと言えるでしょう。

人の思いはそれぞれですので、誰がどの程度真剣な気持ちを持っているかなど僕などには想像すら出来ませんが、霊魂学においては、実践無きところに霊的進歩向上は無いと言っても過言ではないと思います。

幽質界や霊質界や神質界や神界とは異なり、この奇妙な物質界では、時間とお金というものが極めて重要になっています。

肉体の維持に至上の価値があるために、それに直結する時間とお金が重要になるのは当然のことです。

だからこそ、さまざまな事情がある中で、敢てその重要なものを一部割いて、霊的トレーニングや霊的な活動に費やすからこそ、地上において飛躍的な霊的な進歩向上が果たせるのでしょう。

実践無きところに霊魂学無し。

僕はそう思っています。


て、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」)霊を知るために 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。


科学で証明出来ないようなことに足を踏み入れるのだと考えると、どなたでも躊躇されるでしょう。

出会った瞬間に捜し求めていたものだと思った僕でも、金銭的な理由から実際には入会まで3ヶ月を要しました。

僕のように、金銭的に無理をして入会することはお薦め出来ませんが、その後、死ぬほど仕事が忙しくなり、更に転職により基本的に日曜日には休めない仕事についてしまったので、あのタイミングで入会しなければ、そのままになってしまったか、入会が最低でも3~4年は遅れたと思います。

そうなっていれば、今世、地上に生まれた目的を今よりももっと果たすことが出来ずに他界する可能性が高かったでしょう。

一歩踏み出す難しさとその重要性を改めて痛感しました。


全て自由意思。

あなたはどうされますか。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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