最近、特に自由意思というものは恐ろしくて残酷なものだなあと感じるようになりました。
人という霊的生命体の正体を知らないので、全く分かりませんが、至上の神はなぜこのような残酷な権利を与え、神霊の方々もこのような恐ろしい権利を最も尊重されるのでしょうか。
人というのは本当に複雑と言うか何と言うか、不思議な存在で、自由過ぎると不自由を求め、不自由だと自由を求めるようです。
いったい何がしたいんだと思いますが、事実だからしょうがありません。
もちろん、僕も人という存在ですし、しかも地上に再生されているような存在ですから、このことは僕自身についてもあてはまることなのですが、何とも身勝手な話だと改めて思います。
僕は労働が大嫌いですので、暇を持て余すという経験はないのですが、退職された方が、仕事がなくなるとやることがなくて困るという話をよく聞きますので、
そのような場合には自由過ぎると困るという側面が出ているのかも知れません。
しかし、そのような性質のために原罪を生んだかと思うと何とも悲しい気持ちになります。
たったそれだけのことで・・・・・・。
さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学 、霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」) 、霊を知るために 、弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。
自由過ぎると一端不自由な状況に身を置いて、その不自由さを克服して、物質界を支配するという意図があったようですが、現実は甘くありませんでした。
人は地上において、文明の開化により一見物質を支配しているようで、物質に支配されてしまったのです。
地球以外の星に到達し、己をも全滅させる兵器を作り、それをエネルギー政策に活用しようとして、自然の一撃で一瞬のうちに潰されてしまったのです。
そして、あまりにも便利になり過ぎたために、節電という不自由に振り回されて、あたふたしているのです。
科学の発達そのものが悪いわけではありませんし、僕自身もその恩恵を享受しながら毎日の生活を送っているわけです。
ネットと高速移動出来る交通手段がなければ、霊的活動もままなりません。
だから、大切なのは何度も書いているように、優先順位をどのようにして、意識の中で一番重きを何に置くかという判断なのです。
唯物論は、あの世での本来の生活をあまりにも暗くします。
あの世は物質界ではないからです。
世界中の至るところで自然災害や飛行機や船の大事故が起きていますが、苦しい時の神頼みでは真の幸せはつかめません。
いつ何が我が身に起こるか分からない今こそ、あなたには霊的に目覚めて欲しいのです。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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