395th  幽体は分かっている | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

以前にも書いたと思いますが、人という霊的生命体は、地上では肉の身体とだぶって幽の身体も持っているので、幽体は独自の意識を持っています。
幽体には、肉体の脳に該当する部分も手足に該当する部分もあります。
当然、目に該当する部分もありますから、幽の目は幽質の存在を見ています。
すなわち、生きている人間の幽体を見ていますし、幽質界の霊魂も地上にやってきていれば見ています。
もちろん、自分のレベルに合った存在しかきちんと見ることは出来ませんが。
地上の人が肉の脳でお互いを認識している時は、幽の脳もお互いを認識して、肉の脳とは違うことを考えているようです。
例えば、会社のとても偉い人があなたに話し掛けている時、肉のあなたは緊張して、恐縮しながら話を聞いているかも知れませんが、もし仮にあなたは幽体を成長させていて、偉い人は今の地上の標準的な幽体を持っているとしたら、相手の幽体は「何というすごいオーラを発しているのだろう、眩しすぎて見ることも出来ない。」と思っているでしょう。
地上での生活においては、あなたは偉い人とは天と地ほど、生活レベルも社会的地位も違うと思っていても、霊的事実を見れば、それこそ、逆の意味で天と地以上の差があるのです。
いつも書いているように、別に霊的修行者が偉いわけではなく、必ずしも人としての価値が素晴らしいということにはならないのですが、霊的事実は事実として、幽体のレベルの差というのはは絶対的で客観的なものなのです。
死後、吸い込まれていく世界が全く異なるのですから、物質界の価値感など一切通用しません。

霊的なレベルを上げたことによって傲慢になることは論外ですが、かと言って現実の生活ばかりに目がいって、つぶされそうになって卑屈になる必要もありません。

地上の生活など、霊魂の歴史においては、ほんの一瞬ですし、幽体を成長させ、霊的進歩向上の妨げになる霊的カルマを解消してしまえば、今後の長い長い霊魂としての人生は、客観的な幸せが保証されます。

そして、このどうしようもなく悪化している地上に再生され、地べたを這いつくばって、泥水を飲むような生活を再び経験することもないのです。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」)霊を知るために 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。


地上に再生されるのであれば、かなりましだと言えるでしょう。

実際には、地上に再生されるようなレベルには達することなく、下層幽界や地獄で、半永久的に苦痛と苦悩に苛まれている霊魂の数の方が圧倒的に多くなってしまっているのです。

だから、終末なのです。

終末とは、地上の人類のことのみを指すのではありません。

地上での生活の短さを考えれば、むしろ幽質界の終末の方がはるかに深刻な問題だと言えます。

地獄で苦しむ霊魂ばかりが増え、その霊魂達はエヴァのように、一人でも多くの霊魂を自分達のいる地獄へ引きずり込もうとそればかり考えているのです。


人という霊的生命体は、地上にいるとどうしても目先の物質的な生活のことにしか気持ちが向きません。

どんなに霊的な世界と地上とは価値感が異なるのだと申し上げても、全く信じてもらえません。

しかし、事実はどこまでいっても事実であり、霊的真実は厳然として存在しているのです。

あなたの幽体の意識はそのことを幽質のレベルであれば知っていますが、あなたの肉体はそれを全く感じないだけなのです。

ところが、幽体の意識も自分自身であり、どんな人も時折幽体の意識が表面意識に表れるのですから、必ずどこかで霊的に目覚めるチャンスはあるのです。


全ては、神が与えた両刃の剣にかかっています。

それは、自由意思という名の何よりも恐ろしい権利です。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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