364th  ピーク | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

mixiでコミュニティーを開設しました。

トピックスも立てましたので、よろしければ、是非ご参加下さい。

「霊魂学」


僕は物心ついた時からプロ野球が大好きで、現在は西武ライオンズのファンです。

東京に住んでいる頃は何回か西武球場に足を運びました。

また、いろいろなことで東京ドームのチケットをもらえることがけっこうあったので、巨人戦も見に行っていました。

一番足を運んだのは、神宮球場でしょうか。

30歳を過ぎた頃からは特定の球団だけを応援するというよりもプロ野球自体を見たいと思うようになったので、神戸に来てからも、楽天とオリックスの試合などを見に行ったことがあります。

球場に足を運ぶ場合は、球団よりも特定の選手のプレーを見てみたいということで行くことがほとんどです。

僕は特に投手が好きなのですが、これまで肉眼で見て一番すごいと思ったのは、現レッドソックスの松坂投手です。

何度も球場で見ていますが、プロとは言え、なぜあの球が打てるのか不思議に感じることすらありました。

しかし、今、一番凄いと思うのは、日ハムのダルビッシュ投手です。

松坂投手を超える可能性がかなり高くなってきたように思います。

プロ野球選手として、心技体で最初のピークを迎えているのでしょう。

来年こそは間違いなくメジャーリーグに行くと思いますが、野茂投手以上の成績が残せるのではと楽しみにしています。

ところで、どんな一流の選手であっても、ピークを過ぎればどんどん肉体の能力は落ちていきます。

プロ野球を見ていていつも思うことは、過酷なスポーツの選手生命は本当に短いなあということです。

超一流と言われる選手は、それをトレーニングと節制と技術と精神力でカバーして、落ちる度合いを最小限に食い止めるのですが、それでもいつかはプロでは通用しなくなります。

40歳過ぎても第一線で活躍できるという方は極めて稀です。

毎年のように一流選手が引退するのを拝見すると、肉の有限性というものを痛感させれます。

肉体はやはりピークを迎え、いつしかどんどん落ちていって、最後は使えなくなってしまうのです。

その期間は、たった100年足らずです。

僕も、ずっと老眼にならないので不思議に思っていましたが、昨年あたりから急に細かい字が見えなくなっていて驚きました。

やっぱり、肉体は必ず老いるです。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」)霊を知るために 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。


肉体は、ある時期からどんどん衰えていくだけですが、霊的な世界ではそのようなことはありません。

幽体もいつかは使わなくなりますが、それは霊的生命体の進化の過程で、幽体ではなく、霊体を使うようになるからです。

肉体の老いとは根本的に違います。


従って、霊的世界では、完全に神に近づいてしまうまでは、ピークというものはないのです。

霊的生命体としてのゴールというものがいかなるものかは知りませんが、少なくてもより完全、すなわち神を目指して進歩向上するというのが霊魂の本質なのですから、そこに本当にゴールというものがあるとしたら、それがピークだと言えるのでしょう。


地上にいる間は、霊的なピークを迎えることは絶対にありません。

肉と幽が接着している以上、霊的進歩向上にも限界があるからです。

しかし、通常では、幽質界や霊質界では何万年とかかるような進歩向上、あるいは進化を地上で遂げることが出来るようです。

肉体が衰えてきても、霊的トレーニング は行なえますので、まさに思い立ったが吉日で、何かを感じられたらすぐにでも始めた方が良いと思います。


肉体と異なり、幽体は永遠と言っても良いほどずっと使う身体です。

もちろん、特殊な修行をされた方は、非常に短い期間で霊体を使うようになると思いますが、それは現時点では例外的だと言えます。

鎮魂法初伝と禊法初伝だけで、運良く上層幽界に入った方が何千年以上、あるいは何万年以上かかって手に入れることが出来る成果を地上で得ることが出来ます。

利益誘導するとご利益的になってしまうのであまり強調したくありませんが、事実だからしょうがありません。


いずれにしても、求めなければ与えられない以上、ご本人以外は誰がどうすること出来ません。

神霊やキリストの活動を何度も邪魔するような方もおられるのですから、無視することなどまだましな話なのかも知れません。

でもこれほど恐ろしいと言ってこれほど恐ろしいことはないのに、それを平気で出来てしまう自由意思とは核兵器よりも遥かに怖いものだとつくづく思います。

まあ、2000年前には、イエス師を磔にしているのですからねえ。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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