355th  予言続々登場 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

mixiでコミュニティーを開設しました。

よろしければ、是非ご参加下さい。

「霊魂学」

週末あたりで時間のある時に、トピックを立てようと思っています。

もちろん、既参加者の方によるトピックも大歓迎です。


昨年あたりから予想していた通りさまざまな予言がクローズアップされています。

台湾やイタリアでは大騒ぎになったようで、結局当たらなかったのですが、アメリカの竜巻やヨーロッパ各国での財政破綻や中東から難民問題など、日本以外の国でも大きな変化が起こっていますから、今後も同じように予言が騒がれて、注目されていくでしょう。

特に、東日本大震災に関しては、細かい地名まで当てられた方がいらっしゃるようで、その方のブログは一時期アクセスが集中し過ぎてで開くことが出来なくなったそうです。

もう何度も書いていますが、未来は今この瞬間にも人々の自由意思によって変化していますから、正確に予知することは出来ません。

自由意思によって人類全体の霊的カルマと言うべきものが変化し、邪霊や未熟な霊魂の動きも変わりますし、高貴な存在のご判断も変わってしまいます。


但し、このままいけば確実にこうなるという流れはあるようです。

また、今の時期に一番知っておかなければならないことは、タイムリミットがあるだろうということです。

自由意思で変えられると言っても起こってしまったことは変えられません。

ラ・ムー師は、ムーの時代に時間に敗れてしまわれたようです。

自由意思と時間。

この二つはいつも難敵です。


いずれにしても、今後、各地にいくつかの大きなことを的中させる予言者が続々と登場するでしょう。

世の中には人々の不安の種となるものが山ほど溢れているからです。

そのなかには、必ず人々を扇動する者がいるはずです。

何度も書いていますが、霊的なことに無関心だった人が、何かの拍子で霊能力者や予言者を信じるようになると、何もかも信じてしまうというケースが多々あります。

自分自身や世間での大きな出来事などが一度、二度、当たってしまうと盲目的になるのです。

人というのは、自由意思と言いながらも、逆に他人に決めてもらうということが大好きな一面があります。

扇動者の背後に未熟な霊魂や邪霊がいれば、扇動された人達は霊的に必ず不幸になります。

そこには、巧みにご利益が用意されていたり、一番欲しい物がちらちら見えたりするでしょう。

そして、必ず間気の漏れや幽体や幽気の不調をつかれて、ますます霊的な状態が悪くなり、あの世では下に落ちてしまうのです。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学霊を知るために 霊魂イエス ムーの大神人 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。


常に大災害を正確に予知し、それが常に当たるのであれば、その場所から安全なところへ逃げることによって、被害を最小限に抑えることができるかも知れません。

しかし、そんなことは人類の歴史では聞いたことがありません。

当たったという場合もあるようですが、ほとんどはハズレです。

予言には高級な霊魂は関与していません。

出来ないことをするわけもなく、地上の人々の霊的進歩向上につながらないことに高級霊魂が関与することなどあり得ないのです。


はっきり申し上げれば今の状況では、今日、明日に何が起こるか分かりません。

いつも書いていますが、僕自身もいつ災害に巻き込まれて命を落とすか分からないと本当に思っています。

だからこそ、あの世を信じる方には、理想を言えば今すぐにでも霊的トレーニング を実践してもらって、死後下に落ちないようにして頂きたいのです。

実際にはそれは合宿を経なければなりませんから、最低でも霊査を受けて、霊的な状況が悪い場合は、霊術で改善し、今後の対策を知った上で、実行して頂きたいのです。


今回の大震災で、他の方を助けるために自分自身の尊い命を落としてしまわれた方も大勢いらっしゃいます。

その方々の尊い行為がイコール死後の世界を決めるのでしたら、誰もが納得されるでしょう。

ところが、残念ながら事実は違うのです。

大変尊い行為をした方が、もし知らないうちに誰かに恨まれていて、幽体がボロボロになっていれば、法則によってあの世では必ず下に落ちます。

そして、最悪の場合、その法則を受け入れることが出来ず、神を呪い、法則に反して幽体を更に悪くする行動をすれば、更に下に落ちてどうにもならなくなるのです。

これほど理不尽な話があるでしょうか。

あまりにも理不尽過ぎるからこそ、キリストはわざわざ地上に降りられて、事実を示し、人々を救おうとされるのですが、罵倒されたり、呪われたり、磔にされたりしているのです。

人類の最初の罪は、全てを理不尽にしてしまう如しです。


求めよさらば与えられん。信じよさらば救われん。


結局、それしかないのです。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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