西行法師。
彼は、秀郷流武家藤原氏の出自で、平安時代の末期から鎌倉時代の初期にかけての武士であり、僧侶であり、歌人です。
もちろん、後世では、歌人として有名です。
日本各地を旅しながら、数々の歌を残し、後世の有名人の書物や歌にも多々登場する人です。
裕福な家の生まれなので、出家後に各地を旅できるお金があったのだと思いますが、若い頃は、武士として鳥羽院の北面武士として仕えていたこともあるようです。
霊魂学関係で、彼の名前を見たり、聞いたりしたことはありませんが、僕が彼に少しだけ興味があるのは二つの点においてです。
僕は歌を詠むなどという文化的な趣味はありませんので、歌そのもののことは全く分かりません。
ただ、彼が月を愛したという点だけは、僕と共通するものがあるようです。
僕の場合は、月の神の御力を頂きたいと思うのであって、物質的な月がきれいだから好きだというわけではないのですが、月が好きだとか、龍が好きだという方には理屈抜きで勝手に親近感を感じてしまいます。
彼の人生で最も興味があるのが、23歳という若さで北面武士を辞して、出家した動機です。
二つ説があって、親友の急死によって無常を感じたというものと高貴な女性に恋をして失恋したからというものがあります。
後世では、物語として面白い失恋説が多く語られていますが、事実は分かりません。
しかし、人というものは、思いもかけないきっかけで、霊的なことに興味がいくということがあるようです。
名門出のお金持ちのお坊ちゃまが、霊的な何を感じて、出家したのでしょうか。
出家後に、歌を詠みながら各地を旅したところは、のんきな人生で羨ましいなあと思いますが、彼が生きた時代は、前にも書いた方丈記の時代と重なっていますので、ご本人はご本人なりに後世の人々が想像もしないような苦悩を味わっていたのかも知れません。
人は、他人のことなど一つも分かっていないくせに、世に出る人や何かを積極的に行なうとする人を好き勝手に批判してつぶそうとしますが、ご本人としては人には知られていない大変な苦悩を背負って生きているということが普通だと思うからです。
西行は、以前、「願はくは花の下にて春死なん、そのきさらぎの望月のころ」と詠んでいて、その願い通りに亡くなったので、その生き様が藤原定家などの共感を呼び名声を博したそうです。
彼の人生における苦悩など僕には知る由もありませんが、その亡くなる瞬間を想像すると、やっぱりちょっとだけ羨ましい気がします。
さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学 、霊を知るために 、霊魂イエス 、ムーの大神人 、弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。
方丈記に記載がありますが、現代よりもはるかに霊的環境が良かったはずの西行の時代においても、やはり地上の人々は物質的であり、物質的な豊かさを求め、それを謳歌していたようです。
そのような環境で、裕福な家に育った西行という方は、親友の死なのか、大失恋なのか分かりませんが、大きな衝撃によって耐え切れない悲しみを感じて、物質界の無常というものを感じたのでしょう。
隠逸趣味と言われる彼の作風やその後の隠遁生活はともかくてして、その時、彼は、物質的な豊かさや物質界での出世が、本当の人生ではないと気づいたのだろうと想像されます。
地上の生活における苦悩の中で、どんな人も何度かは霊的に目覚めるチャンスがあるということは何回も書かせて頂いています。
今、人生の頂点にあって、この世の春を謳歌しておらえる方は、恐らくこのブログを読まれておられないだろうと思います。
ご本人にとっては重い重い苦悩を背負いながら、これからどう生きていくべきかを迷われておられる方が多いのではと思っています。
その重い重い苦悩を理解することもそれを直接取り除くことも僕には出来ません。
しかし、もしかしたら、その苦悩は、あなたが霊的に目覚める大きなチャンスかも知れないということは分かります。
だからこそ、目先の苦しさからすぐに逃れられると説く、安直な救いやご利益主義ではなく、本当の救いを求めて欲しいと願わずにはいられません。
善人を装う人に騙されてはいけません。
安易な救いや他力本願の救いなどありません。
結局、自分自身で努力するしかないのです。
そして、一番大切なことは、何を信じて、何に向かって努力するかということです。
全てはあなたの霊的感性、すなわち、あなたの本当の守護霊や指導霊からのメッセージを受け取れるかどうかにかかっています。
求めよさらば与えられん。信じよさらば救われん。汝の神を愛せよ。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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