昨日に続き抽象的な内容になってしまいます。
また、このことも切り口によっていろいろなことが言えます。
今日は、矛盾した二つの本性について書いてみたいと思います。
人の本性の一つは生きたいというもの、もう一つは霊的な身体に戻りたいというもののようです。
人は誰でもいくつもの過去世を持っています。ある過去世を終えた後、当然霊魂の世界の生活を経験するのですが、そこでは自由な生活をしていたために、その記憶が潜在意識に残っています。
そして、再び新しい肉体を持った時に表面の意識は、常に生きるために、食べたいし、眠りたいし、生殖したいとなります。
しかし、霊魂の世界の記憶を有している潜在意識は、こんな馬鹿馬鹿しい不自由な生活よりも、もっと自由な霊魂での生活に戻りたいと考えています。
そのことが、人の心の矛盾を招くようです。
右へ行きたい自分と左に行きたい自分が常に自分の中で争っているからです。
だからこそ、人は自らの過去世を知り、何のために生まれてきたか、何のために生きるべきかを考えることが重要になってくるのです。
さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学 、霊を知るために 、霊魂イエス 、ムーの大神人 、弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。
何回も書いていますが、二つの矛盾した本性だけでなく、霊体の個我やら霊的カルマなどが複雑に絡んでいますので、人と言うのは矛盾だらけの存在となっています。
過去世というのは幾重にも重なっており、直前の過去世がその前の過去世の霊的カルマの影響を受けていて、またその前の過去世の影響を受けていてと過去世自体も非常に複雑になっています。
だからこそ、今現在の最も優先順位の高い課題を過去世から知ることにより、できる限り効率良く霊的カルマを解消していくことが望まれるのです。
いずれにしても、人という霊的生命体はあまりにも複雑で、しかもそのほんの一部しか表面に現れていません。
この人冴えないなあと思っていた人が、実は、これまで一度も地上に生まれたことがないほどの高貴な存在だったりするのです。
その方の本当の姿や本当の使命など神人にしか見抜くことは出来ないでしょう。
だからこそ、特に霊的修行者というのは、過信することなく、されど卑下することもなく、出しゃばり過ぎて調和を乱すことなく、しかし立つべき時は未熟を認識しつつも立たなければならないのだと思います。
自分でも表面意識が全く認識していないとんでもなく貴い使命を帯びて生まれてきているのかも知れないからです。
別に霊的修行者が偉いとは僕は全く思いませんが、今の世の中では、せめて神伝禊法の初伝(水の禊)と神伝鎮魂法の初伝は、是非、日々実践して頂きたいと思ってしまいます。
神伝の法を実践するとなれば、どこを目指すかは人それぞれによって異なるでしょうが、結局、霊的修行者となることを意味します。
もちろん、基礎行を実践するだけで立派な霊的修行者と言えます。
結局、どなたであっても、どんなに社会的に立派な方であっても、社会で非常に苦労されておられる方であっても、全ての方々に霊魂学を学ぶことと霊的トレーニング を実践されることをお薦めするしかないのです。
それしか人が救われる方法はないと確信しているからです。
理屈ではありません。日々修行をしているとなぜかその確信が強まっていくのです。不思議な感覚なので、言葉では表現出来ませんが。
求めよさらば与えられん。信じよさらば救われん。汝の神を愛せよ。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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