同じ土俵 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

このようなブログを書いていると、ご質問を頂きます。

一つは霊魂学に基づいたご質問です。

ホームページにおいて膨大な情報がありますので、それらをよく読んで下さればご理解頂けると感じるご質問からよく考えたけれども分からないというご質問までいろいろです。

出来る限りお返事をさせて頂いておりますが、まずは、ご自身で努力をして頂きたいと思う部分はあります。

別に僕が不遜になっているのではなく、「求めよ。」と神霊やキリストが仰るからです。

求めない人に対して、手取り足取り何をさせて頂くという発想は僕にはありません。

安直に、真剣に求めもしないで、すぐに質問をされる方は、結局、霊的に目覚めることはないのだろうと思うからです。

僕は、自分自身の自由意思を正当な理由なく踏みにじられることが異常に嫌いですが、それ故に、自分以外の方の自由意思の行使については、ある意味無関心です。

結局、神霊でさえ自由意思を絶対的に認めておられるのですから、僕のような取るに足りない普通の地上の人間が、人様の自由意思に関心を持つことすら不遜だと思っているからです。

だから、ご本人が真剣に求めないのであれば、おせっかいをして、あれやこれやと申し上げるのは失礼だと思うのです。

人は、地獄へ堕ちて永遠に苦しむ自由も認められているのです。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学霊を知るために 霊魂イエス ムーの大神人 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。


もっと困るのは、ご自身の宗教観やスピリチャルなるものの知識を基にして質問をされる場合です。

もう、この領域になりますと、分かりませんとしかお答え出来ません。

これまでも、訳の分からない概念で、霊的に高くなるとはこのようなはずだが、あなたはそれを実践していますかという類のご質問を受けたことがありますが、あまりにも常識はずれです。

ご質問をされるのであれば、まずは同じ土俵に上がってもらわなければ、そもそもその言葉の意味は、そもそもその概念とはという話から始めなければならあにからです。

更に、例えその意味が分かったとしても、霊魂学の視点からは意味がないということであれば、それを実践などしているはずがないのです。

とにかく、ご自身の宗教観やスピリチャル何たらに信念のある方々は、僕にかまわないで下さい。

自由意思は絶対ですから、僕があなた方の信仰を邪魔することなどあり得ませんし、唯物論、無神論の方であれば、接点は皆無です。

皆さん、ご自身の信じた道を歩まれれば良いと思います。

僕は自分の道を信じていますが、とりあえず、死ぬまでは、何が正解かは分かりません。

それでいいじゃないですか。

僕は、僕がずっと求めてきたものに巡り合い、おぼつかないまでも霊的感性で感じることがあるので、同じような感覚を持たれる方々がおられるはずだと思って、毎日情報を発信させて頂いているだけです。

それだけなのです。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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