鷹と矢 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

先ほど、三宮の街を朝日を浴びながら歩いていると、突然涙が溢れてきました。

何があったというわけではありません。

「これまで生きてきて、自分には人生があった。そして、どんな人にも人生はある。しかし、誰もが幸せになりたいと願いながら、本当の幸せを手にすることが出来ない。かりそめの幸福があってもすぐに状況は変わってしまう。自分は生まれてきた理由を知ったと思う。そして、自分自身の意思で霊的修行者として歩んでいる。それでも、やはり地上での生活は苦しい。その苦しさは大震災によって更に増している。それでも僕はまだ良いほうだと思う。信じるものがあるから。信じるものがない人達は今どんな不安や苦しみにあえいでいるのだろうか。」

そんなことを何となく考えていたら、自然に涙が出てきて止まらなくなってしまいました。

道行く人達は、「おっさん朝から道歩きながら何泣いてんねん。」という表情で僕を見ていました。

涙の訳は分かりません。

悲しいというよりもあまりの虚しさに耐え切れなくなったのかも知れません。


イソップ寓話に「鷹と矢」という話があります。

ある鷹が獲物の兎を狙おうと岩の上から目を凝らしていたら、物陰に隠れていた射手が矢をその鷹に目がけてはなったところ、矢は心臓に突き刺さり鷹が倒れました。

虫の息の鷹が矢羽根を見ると、矢羽根は鷹の羽でで作られていたというものです。

「己を滅ぼす者は己である。」

という教訓のようです。

イソップ寓話はヘロドトスの「歴史」によると紀元前6世紀、奴隷だったアイソーポスが作ったとされていますが、どうやら、アイソーポスの出身地(小アジアらしい)の民話やそれまでにあった寓話などで構成されているようです。


人という霊的生命体は本当に不思議な存在です。

己を滅ぼすのは己であるということにいつまでも気がつかずに、何千年にもわたって何回も何回も再生を繰り返し、キリストが地上に降りられたり、大災害があったり、革命があったり、世界大戦が2度もあったりしたにも関わらず、霊的進歩向上を目指さず、科学だけを頼りにして、結局一つも苦しみを軽減することなく、今も地上にいるのです。

これ以上、虚しい話が他にあるでしょうか。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学霊を知るために 霊魂イエス ムーの大神人 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。


何とかオセロゲームの大逆転はないものかと思いながらも、大災害や原発事故などが現在進行中の世の中を見ていますと、やっぱり何も変わらないのかなあと思ってしまいます。

富士山が噴火しようが、本州が二つに折れようが、鳥インフルエンザが人間の間で大流行しようが、結局、多くの人々は霊的に目覚めることはないのかと絶望的な思いに囚われます。


最善を尽くさねばと思いつつも、普通の人間である僕は、常に折れてしまいそうになるのと戦っていなければなりません。

お役御免で楽になりたいという気持ちは常に浮かんできます。

しかし、それでは何のために生まれてきたのか意味がなくなってしまうという気持ちがその思いを打ち消します。

己を滅ぼす者は己であるとともに、単に生命を長らえるのではなく、本当の意味で己を生かすのも己なのでしょうか。

そんな風に悩み苦しみながら、終末の世を生きているのが僕という人間なのです。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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