日本の神話は政治的な意図で書かれたものです。
但し、何らかの霊的知覚によるものが元になっているようですので、全てが間違っているというわけではありません。
例えば、イザナギの命、イザナミの命、天照大御神、月読命、そしてスサノウの命は実在しておられるというのが霊魂学の立場です。
もちろん、古事記や日本書紀をそのまま鵜呑みにすることは出来ませんが、そこには、僕たちが学ぶべきものがあるようです。
地上の人間にとってスサノウの命の存在は極めて重要です。
スサノウの命は、神霊であり、人間でもあるようです。神霊でありながら、地上に降りられたからです。
荒ぶる神、乱暴な神、泣き叫ぶ神、八岐大蛇を退治した英雄の神。
いろいろな要素が語られますが、地上の人間によって悪く描かれている背景には、人間のわがままと傲慢さが隠されているようです。
地上の人間にとっての善は、自分達にとって都合の良いものであり、悪は、自分達にとって都合の悪いものです。
物質界にも幽質界にも霊質界にも神質界にも法則がありますが、善悪があるのは物質界だけです。
それは、地上の人間の勝手な価値感により、その時代、その場所によって、善悪が作られているからです。
本来は、法則はあっても物質界にも善悪はないはずなのです。
地上から人類が消えれば、物質界には善悪は一切なくなります。
スサノウの命は力の神であり、海の神でもあります。
力の神は、妖怪退治にとっては人々の善となりますが、それ以外では存在価値がありません。むしろ、それ以外に使われるとすると人々にとっては悪となってしまうでしょう。
力は、エネルギーであり、エネルギーは使い方によって、人間にとっての善にも悪にもなってしまうのです。
人間としての特性を強く表わした悪神スサノウは、禊にその正体を表わします。
それはスサノウの命の本質が救いだからです。
さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング
を実践して頂き、わかりやすい霊魂学
、霊を知るために
、霊魂イエス
、ムーの大神人
、弁慶と弟子
などをご覧になって頂ければと存じます。
「禊とは善悪を超えた巨大な力との交流なり。」
とスサノウの命は仰るようです。
スサノウの命はあまりにも強すぎて、地上の霊的知覚者の視野にも入らないようです。
その巨大な愛を地上の人間が知ることはまず出来ないようです。
しかし、今、スサノウの命は、新しい愛を持って地上に降りてこられたようです。
スサノウの命の部下の高級霊魂はやさしく教えて下さいます。
「スサノウの禊は技法にあらず、愛にあらず、力にある。そして、その力は神のものであり、人々のためのものであった。しかし、やがて人々がスサノウに目覚めるまでは力は降りてこない。
スサノウは、ただ、今の中に生きている。それを知りたければ禊を行ぜよ。そして知るべきである。スサノウは神々の法の中に現れている。禊法の中に、スサノウはいつもいる。正体不明の神霊は、いつも禊の中に現れていた。」
-「禊 神秘の法」より-
今こそ、あなたにはスサノウの命を知ってもらいたい。
そして、そのチャンスは今しかないのかも知れません。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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