多くの宗教の影響もあって、なぜか地獄は神が作られたものと認識されています。
なぜ、神が地獄を作るのでしょうか。
宗教は、地上の価値感である倫理や道徳を重んじることが多いので、悪いことをすると地獄に落ちるということを教えていますが、死後、神が審判などしないことはこれまで何回も書いてきた通りです。
そもそも、霊的な世界は地上という物質界とは法則が異なるのですから、あの世にいって、なお地上の価値感が存在するということはあり得ないのです。
神質界があり、なぜか霊質界が作られ、なぜか更に幽質界が作られたというのが、霊魂学 の立場です。
人という霊的生命体は、本来、幽質界の住民であるということは何度も書かせて頂いている通りです。
幽質界では本来、争いごとなどありませんでした。
何事も自由で、食べる必要もなく、寝る必要もなく、従って労働する必要もない上に、想念で何でも作り出せるのですから、何かを求めて争う必要など全くありません。死の恐怖などという肉の身体に特有の概念もありません。
今の地上から見れば、そこはまさに天国と言えるのかも知れませんでした。
ところが、何を思ったのか、人という霊的生命体は不自由を求めて物質界に降りてしまいました。これが全ての始まりです。
人が動物になってしまったのです。
弱肉強食の世界に入って、全てが変わりました。
肉の世界を知った、人という霊的生命体は、幽質界に戻った時に、凶暴性を初めて発揮したようです。
幽質界は念の世界ですから、いつしかその凶暴性が無限の広がりを見せ、結果としてそれまでにはなかった下層幽界を作ってしまいました。
念の世界は、残虐性に終わりを作らなかったのです。
それが地獄なのです。
そして、今もそれは下へ下へと無限に広がっています。
さて、いつものようにこのブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング
を実践して頂き、わかりやすい霊魂学
、霊を知るために
、弁慶と弟子
、霊魂イエス
、ムーの大神人
などをご覧になって頂ければと存じます。
思ったことは全て実現してしまう。それが、念の世界です。
人が物質界で残虐性を身につけなければ、永遠に地獄など出来なかったかも知れないのですが、自由意思を究極的に行使した人という霊的生命体は、遂に自らの意思で地獄を作り、再生によって地上で勝手に苦しみ、また死んで恐怖の世界を作り、また地上に戻り、また地獄へ行くということを繰り返し、幽質界全体を変えてしまいました。
人は己が蒔いた罪という種を知りません。それこそが最大の罪だと言えるでしょう。
イエス師は仰いました。
「汝、罪人と知れ。罪を悔い改めよ。そして、汝の神を愛せよ。ほかに救いはなし。」
霊魂の存在すら知ろうとしない人類に救いはないのかも知れません。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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