理性が働くうちに | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

改めて書くまでもありませんが、一部の宗教家、宗教団体の行動によって、今や宗教を信じているというだけで、世間から冷ややかな目で見られます。

何かおかしなことをしているのではないか、自分のことを勧誘してきて財産を奪おうとしているのではないか、犯罪を犯すのではないかなどと思われてしまいます。

数々の事件によって、多くの念も飛び交いました。

唯物論、無神論に拍車がかかっているように見えます。


ところが、人という存在が霊魂であることは変わりません。

従って、唯物論が圧倒的になると逆に一部の人にはその反動が表れるようです。

唯物論一直線で、死後の世界も霊魂の存在も完全に否定していたのに、ひょんなことから突然、霊能力と呼ばれるものが身についてしまうことがあるのです。

唯物論が圧倒的になればなるほど、霊的環境は悪化し、霊的に不調な人が増えるのですから、未熟な霊魂や邪霊が関与しやすくなります。

当然、霊能力が出てくる人が増える可能性が高まるわけです。


そこで問題となるのは、霊能力が身についたり、突然霊的なことを信じるようになった場合に、全く免疫がないために、とんでもない方向に進んでしまうことです。

元々、直感で霊的世界の存在を感じていた人よりも、完全否定していた人の方が、一気に邪霊や未熟な霊魂と深い関係になりやすいと言えるでしょう。

要するに、霊的なことに対する目が養われていないので、騙されたり、失敗したりしやすいのです。


全くパソコンのことを知らない人に、3万円の価値しか無い物を30万円で売りつけるのが簡単なように、霊的なことに対する目が肥えていないと、霊魂達の思うがままにされてしまいます。

パソコンならば、身近な人にその価値を相談することも可能ですが、霊的なことはほぼ不可能だと言えるでしょう。

反動が出てしまうと、残念ながら霊的に正しい方向へ歩いていくことは難しいようです。

幽体と肉体が離れていれば、邪霊に侵入されてしまうということもあり得るでしょう。


さて、いつものようにこのブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐ始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学 龍の正義 弁慶と弟子 霊魂イエス 契山館 が管理するサイトである霊を知るために などをご覧になって頂ければと存じます。


以前にも書きましたが、高貴な存在は、己の理性を保てということをしきりに仰います。

自分自身の理性を働かせて、霊的なことも判断しなければならないということを繰り返し仰っているのです。

しかるべき修行もしていないのに、突然、見えないはずのものが見え、聞こえないはずのものが聞こえれば、おかしいと感じなけれなりません。

理性を働かせれば、おかしいと感じるの普通です。

それなのに、神だの仏だのからメッセージを受け取るようになったり、その存在が見えるようになったりすると、人は必ず自分が神に選ばれた人間だと思い込んでしまいます。


正しく己の理性を働かせれば、自分が神に選ばれたなどと思わないはずです。

しかし、一度はまってしまったら戻ることはほとんど不可能でしょう。

理性を失った後では、もう誰の言葉も聞くことはありません。

その先にはしかるべき世界が待っています。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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