感情 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

人には感情があります。

自分で分かっている表面意識によって、感情が動くこともあれば、過去世の影響がある潜在意識によって、衝動とも言えるような感情が表れることがあります。

喜怒哀楽だけでなく、時には深く相手を憎んだり、場合によっては殺してしまいたいとさえ思うこともあります。


ところで、よく「泣いてもいいんだよ。」というせりふを聞きます。

この言葉の裏には、本来、泣くことは良くないとか、恥ずかしいことだとかという意味が隠されていると思います。

しかし、人間である以上、そして、個性を持った霊魂である以上、泣いたり、怒ったりするのは当然です。

何ごとも過度になることは良くありませんが、完全に感情をコントロールできるようになることが、霊的進歩向上に必要なわけではありませんし、達観して感情が動かなくなることが霊的に正しいことでもありません。

人間として生きていく上で、TPOによって感情をある程度抑えなければならないことはあるでしょうが、誰かに大きな迷惑をかけるわけでなければ、感情を表に出すと言うことは悪いことではありません。

ましてや、ひどいことをされた相手を、全てを包み込んで愛するなどということが人間に出来るはずなどなく、感情が動いてしまうことはしょうがないことです。


世間では、聖人君子のようになることが、宗教的にも素晴らしいことだと思われていますが、そのことと霊的レベルとは全く関係なく、むしろ、逆の結果になっていることも多いということはこれまでに何度も書いてきた通りです。

守護霊や指導霊、あるいは霊質界におられる高級霊魂ですら、個性としての感情があるのですから、地上の人間であれば、常に感情が大きく動くことは当然なのです。

もちろん、憎むことにより、呪いかけたり、犯罪を行なったりすることが良いというわけではありません。


いずれにしても、人は達観したとか、悟ったとか言い始めたら、もうおしまいで、自ら地獄へと落ちるように頑張っているとしか言いようが無くなります。

少なからず、そのような方を拝見することがありますが、霊的修行者としての道を進む以上、なにかの拍子で一歩道を踏み外すとああなってしまうのかと、ぞぞっとすることがあります。


人というものの正体は、非常に複雑なもので、過去世もあれば、自分自身の本体もいくつもあり、意識も肉体、幽体、霊体、神体と4つもあるのですから、正直いつになったらわかるのだろうと途方に暮れることがあります。

今、地上に存在している自分というものは、全体から見れば、砂浜の砂の一粒と言うくらいほんの一部でしかないのですし、表面意識が全てではありません。

そのような表面意識レベルで感情をコントロールするとか、それができれば聖人だとか言う話など、普通に考えれば、いかに馬鹿馬鹿しいか分かります。


むしろ、感情を完全にコントロールするなど、出来もしないことを出来ると言って、不遜な態度をする人間に、高級霊魂が力を降ろすことなどあり得ません。

「そんなに立派で偉いのであれば、私達が力を与える必要はありませんね。」と言われて終わりです。

彼らにも当然、感情はあるのです。


さて、いつものようにこのブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐ始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学 龍の正義 霊魂イエス 契山館 が管理するサイトである霊を知るために などをご覧になって頂ければと存じます。

地上で生きている以上、人間関係の問題から逃げることは出来ませんので、いろいろな感情が出てきます。

怒ったり、泣いたり、そして、憎んだり。

そして、そこから悩みや苦しみが生まれることもあります。


重要なのは、そのような人間として自然な状況を必要以上に抑えることではなくて、その結果を正面から受け止めて、どうすることが今の自分にとって最善と言えるのかを真剣に考え、実践することです。

ベストだと思ってやった処置が大失敗に終わることもあるでしょう。

しかし、人間は失敗からしか成長出来ませんし、常に最善を考えて、実践しても失敗は必ずあります。

大切なことは、最善を求め続け、実践し続けることであり、悩んでいて何もしないということは、貴重な時間を無駄にしてしまうことになります。

肉体は、ある程度寿命が決まっているようなので、与えられた時間と言うのは、霊魂としての人生から言えば、ものすごく短いということを知っておいて頂きたいと思います。


中には、自分が一人で落ちるのは嫌だからと、他人の足を引っ張るようなことばかりを考えて、実践している方もおられるようですが、そのような行為の全てがやがて死後、何倍何百倍のマイナスとなって自分に跳ね返ってくることを知るべきです。

常に自分に最悪な結果になることを求め続け、実践しているその粘り強さを霊的に良いことに向けて頂ければと心から思います。

まだ、今なら間に合うかも知れません。


話がそれましたが、実際の話をすれば、霊的な修行が進んでいくと、感情というものは比較的穏やかになっていくことが多いように感じています。

自分自身もそうですが、他の方からもそのような話を聞きます。

地上の価値感からくる、意味のない怒りや悲しみが少なくなるからなのかも知れません。

但し、気をつけなければならないのは、その対象が霊的なこと、特に契山館霊魂学 のことになると、もう自分の価値感しか見えなくなって、他人にどんな迷惑をかけても全く気がつかないとケースがあることです。

自分だけが正しいと思い込むことは必ずいつか自惚れを生みます。


いずれにしても、環境や状況が異なり、いろいろな外的な要因があったとしても、結局は、自分を上に上げるのも下に下げるのも、自分次第だということになります。


だからこそ、常に自由意思が優先されるのです。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。

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