事実など知りたくもない | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

人は事実を認めたくありません。

本当のことなど言われたくもありません。

もし、今日病院に行って、医者からあと1ヶ月の余命と言われたならば、できれば嘘であって欲しいと願います。

信じたくないのです。


人は目的があって生まれてきました。

そして、その目的を果たすために今生きています。

さて、その目的とは何ですかと質問されたとします。

本当のことを言います。

人は、不幸になる為に生まれてきました。

そして、不幸になる為に、今、生きています。


誰も信じません。

これまでの人生を振り返っても、これからの人生を予想してみても、幸せになどなりそうにないと感じていたとしても、信じません。

信じたくないのです。


今日の運勢はどうだろうか。

幸運度95%。

やったあ、会社でなにか良いことがあるかな。

学校で、新しい恋が始まっちゃうのかな。

誰もが信じます。


幸運度12%。

えっ、何?会社で大きなミスを指摘されるの。

もしかして、今夜、彼から別れ話を切り出されるのかも。

信じたくありません。


人は、不幸になるために生まれてきましたなどとあまりにも本当のことを言おうものなら、誰も霊魂学 に興味など持たないのかも知れません。

しかし、残念ながら物質界での幸せという基準で考えれば、間違いなく、人は不幸になるために生まれてきたのです。

それが霊的カルマというものであり、霊的カルマの表面化としての不幸を乗り越えるために生まれてきたのです。

従って、誰もが必ず人生のどこかで不幸になります。

そして、不幸になった時にどうするかで、その後の人生や死後の状況が変わってくるのです。


霊的な意味では、進歩向上するために再び地上に生まれたのですから、真の意味では、人は幸福になるために生まれたのであり、実際にそのチャンスは何度も訪れます。


ところが、肉の身体を着ている人間は、そのような事実は聞きたくもなければ、触れたくもなく、そうだろうと思っても、蓋をして忘れようとするのです。


しかし、蓋などしても必ず人は、不幸と対峙することになります。

そこで目覚めれば良いのですが、残念ながらほとんどの方は、遂に霊的に目覚めることなく、また必ず死を迎えるのです。

意味のない人生がまた一つ増えたのです。

あるいは、死後、下に行ってしまって、生まれ変わったことがチャンスだったのに、真の不幸を手に入れることになります。

それが、人類数千年の歴史なのです。


今日一日が良い日でありますようになどという願いは、実は、地獄の1丁目への道案内をお願いしているようなものなのでした。


さて、いつものようにこのブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐ始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学 龍の正義 霊魂イエス 契山館 が管理するサイトである霊を知るために などをご覧になって頂ければと存じます。

信じようが信じまいが、事実は事実なのですから、そのようになります。

地上で生きている時も、死後も事実が事実として存在するわけです。


蓋をしようが、耳をふさごうが、自ら地上での命を絶とうが、事実はどこまでも追いかけてきます。

必ず、ずっと、ずっと追いかけてきます。


だからこそ、人は、事実を事実として受け止めるしかないのです。

つらくても、悲しくても、絶望的になっても、一度は受け止めるほかに、不幸に勝つ方法はありません。


受け止めた上で、どうすべきか真剣に考え、立ち向かっていけば、必ず霊的に進歩向上するはずです。

それこそが、真の幸福への唯一のパスポートなのです。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。

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