状況は常に変わる | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

キリスト教徒と仏教徒で世界中の宗教の信者のかなりの多くを占めるでしょう。しかし、聖典や教えは、キリスト教と仏教ではかなり違います。


しかしながら僕たちは、イエス師もシャカ師も霊界におられると信じていますし、極めて細々とですが霊魂学 を宣伝しようとすれば、必ず力を与えてくえていて、霊的トレーニング をすれば直接か間接か分かりませんが、両師あるいは、他の4名のキリストの方々が力を降ろしていて下さると感じて生きているわけです。

霊的クリスマスでは、神霊やキリストの方々によって、想像を絶するような霊気が降り、霊力を与えられています。


人からは、全く違う宗教を二つとも信じているのかと言われてしまうでしょうが、それは違います。

僕は、イエス師とシャカ師は信じていますし、何らかの形でご指導頂いている、力を降ろして頂いていると思っていますが、キリスト教も仏教も全く信じていません。

イエス師の言葉は信じていますが、真実を求めない人間達が作った聖書や教えは全く信じていません。


イエス師もシャカ師も当然、真理を知っておられたはずです。

しかし、それを表現する場合、その時代、その地域、その民族に合わせて、必ず調整をされたはずですから、同じことを仰るわけがありません。

一人でも多くの人に、真実を求めて、霊的に進歩向上してもらいたいということからその時、一番良いと思われる方法で教えを説いたはずです。


また、本心を言うこと、本当のことを言うことにより、マイナスの方が多いと考えられれば、絶対にそれを語られることはなかったでしょう。


そして、それが個人個人、個別に仰ることとなれば、正に人を見て法を説かれたことでしょう。


真実は真実なので、普遍的で決して変わるものではないでしょうが、個別具体的なこととなれば、状況によって全く正反対のことを仰ることもあるでしょう。


無神論者よりも霊的なことを信じる方は、はるかに霊的に良いとは言えますが、狂信的に、一本調子に何かだけを信じると、社会的に異常だと見られたり、犯罪を悪いことだと思ってしまったりすることがあるのだろうと僕は思っています。


これは、霊的に正しいことを行い、霊的感性で正しく守護霊や指導霊の方から何かメッセージを受け取った場合にも同じことが言えるようです。


そもそも、かなり霊的感性を磨いていないと守護霊の方からのメッセージを正確に受け取るなどと言うことはできませんが、例えば、ある大学生が、何らかの理由でそれを正しく受け取ったとします。

そして、普通の人よりもはるかに霊的に高い生き方をしたとします。


月日は流れ、その大学生は就職をして全く新しい環境、全く新しい人間関係の中で生きています。

結婚もして、子供も生まれています。

それが数年程度のことであっても、霊的カルマの影響が出ていたり、妻の霊的カルマがそこに複雑に絡んだりして、状況は大きく変わっています。


同じ人間であっても、物質界の状況はもちろんのこと、霊的な状況も常に変わるのです。

たった1日で劇的に変わることもあるでしょう。


すると、大学生の時に受け取ったメッセージがそのまま5年後、10年後の状況において、正しい或いは有効だとは限りません。

特に、物質界が激しい変化を日々続けていて、恐らく霊的な状況はそれ以上に変化している時代において、5年も前の具体的な話がそのまま通用すると考える方がむしろおかしいと言えます。


状況は常に変わります。

だからこそ、常に自分自身の霊的な状況を良くしていて、守護霊や指導霊の方々からのメッセージを受け取れるようにして置かなければならないのです。


そのためには、僕たちの主張としては、神伝の法である霊的トレーニング を実践することが絶対に必要だということになるのです。


さて、いつものようにこのブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐ始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学 龍の正義 霊魂イエス 契山館 が管理するサイトである霊を知るために などをご覧になって頂ければと存じます。

真理は、真実は変わりません。

事実としてそうあるのですから、変わりようがありません。

死後の世界はあるのかないのか、それは地上で生きている限り、人がそれぞれ自由意思で想像することであり、それによって行動も変わってくるでしょうが、事実としてあれば、あるのです。

生きている間に絶対ないと100人中、99人が主張したとしても、事実としてあれば、あるのです。


東京に大地震が起きるだろうと長いこと言われ続けています。

無神論者の方が大好きな科学的に考えても、大体100年周期で大地震が起きているという事実がありますから、恐らくそれほど遠くない将来に大地震が起きるだろうと考えている人も多いと思われます。

しかし、現実にそれを心配して、東京周辺から引っ越す人はほとんどいません。少なくても僕はそのような話を聞いたことがありません。


「そんなこと心配していたら、生活なんて出来ないよ。勤め先も東京だし、郊外にマンションを買ってローンもたっぷり残ってるし、子供をやっとの思いで名門私立中学に合格させたのに、いつ起きるかわからない大地震のために全てを捨てる馬鹿がどこにいるんだよ。」


そういうことなのでしょう。

しかし、本当に明日、東京に関東大震災級あるいはそれ以上の大地震が起きると分かれば、例えば科学の発達でそれが1日前に分かり、政府が発表したら、大パニックになりながら、人々は東京から1mでも遠くへ行こうとするでしょう。

要するに知らないからこそ、平気で生活していられるわけです。


死後の世界もあることを知らないから、神の存在を否定し、物質的にのみ生きていかれるのでしょう。

しかし、もし、あったらどうしますか。

もし、大地震が明日起きたらどうするのでしょうか。

それと同じような話なのです。


話がそれましたが、大きな意味での普遍的で変わらない真実があったとしても、それが地上に示される時はいろいろな顔、側面を持って現れます。

また、このような時代であれば、状況の変化によってどんどん変わっていきますし、必要があれば必ず変えなければなりません。


実際に、神伝禊法次伝である火の禊はそのような変化からの要請によって違う禊に変わっています。

神伝の法ですら、数年か十数年で時代の流れや物質界の状況、霊的な状況によって変わっているのです。


本質的なことですら状況で変わるのですから、他の霊的なことなど、その方法や内容が、全く変わってしまうということは多々あると考えるのが普通でしょう。


状況は、刻一刻と変わっているのです。

今、この瞬間にも。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。

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