霊的カルマの現れ方 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

幽界で進歩向上していこうとしていると、あるところで霊的カルマが邪魔をして、それ以上上に行くことが困難になります。


僕たちは本来、幽界に住んでいましたので、地上でのみ生まれてしまう霊的カルマとは無縁だったのですが、執拗な主張により、大反対を押し切って物質界に降りてしまったので、霊的カルマを作ってしまいました。


肉の身体を着けて生きると言うことは、必ず、食べ物をめぐって争いが起きます。

もちろん、他の生命体を食べるのですからそれ自体も罪深いことです。

幽界ではやらなくても良い、他の生物の殺戮や同じ人間同士の争い、ひいては戦争という殺し合いによって、どんどん霊的カルマを増やしていったのです。


殺人に限らず、地上で生きているとさまざまなことがあり、人は心に大きな傷を残します。

この深い深い心情が、幽界で進歩向上を目指している時に、足を引っ張りそれ以上上に行けなくなるというわけです。

すると、複雑な再生の仕組みがあって、その本体というべき存在から、一部が分離して、誰かのお腹に誕生した生命に入り込むのです。


すると、その新たに誕生した人は、通常、霊的カルマの解消のためだけに生まれてきていますので、時代や環境や両親が過去と異なっていても、ある時期がくればまさに時限装置が働くように、必ず同じような境遇になり、霊的カルマの法則により、潜在意識から突然衝動が沸いてきます。

一番分かりやすいのは、例えば、人を殺す衝動です。


人を殺すというと、法律上の殺人だけを思い浮かべる方が多いでしょうが、それだけではありません。

例えば、戦争に行かされて、何千人と殺してくると言うこともあります。

そして、最も恐ろしいのは、本人も誰も気がつかないうちに人を殺すということです。


それは、念です。

例えば、ある女性は、強い衝動によって22歳頃になると必ず結婚します。

そして、本人の表面意識は全く気がついていないけれども、結婚するとすぐに夫を念の力で殺そうとして、交通事故にあわせたり、不治の病にして、殺してしまうというような霊的カルマもあるのです。


それをその通りにやってしまったら、地上の価値感から、その女性がどんなに愛に満ち溢れた人、誰からも尊敬される人であったとしても、死後は下に落ちるでしょう。

もちろん、霊的カルマは解消されていませんし、場合によっては増やしています。

人類の負の連鎖というのは、霊的カルマの解消のために生まれ変わっているのに、更に悪くして死を迎えるという人が多いから起こっているのです。

そして、現代は、それがすでに究極に近い状態になっているから、最悪だと僕が何度も書くわけです。


霊的カルマが現れる時期も何年何月何日というふうに完全には決まっていません。

本人の自由意思もありますし、何かのきっかけで守護霊と交流ができて、一時的には止められるということもあるからです。

しかし、延期されたとしても、基本的にはまた同じ状況に至ります。

そうなるように、そのために生まれてきているわけですから、当然のことです。


さて、いつものようにこのブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐ始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学 龍の正義 霊魂イエス 契山館 が管理するサイトである霊を知るために などをご覧になって頂ければと存じます。

人が地上の人生において最低限果たさなければならないテーマについては、守護霊の方が全てを知っていますし、どのようにすればそれを乗り越えることができるかも知っています。

だから、人は、地上に生まれたら、霊魂の存在を知り、守護霊や指導霊の方々と交流し、やるべきことをやって死を迎えなければならないのです。

それをしなければ、生まれてきた意味は全くありません。


霊的カルマの解消のために生まれたのですから、それから逃げることはできません。

万が一逃げられたとしても、解消はないのですから、それほど無意味な一生はありません。

しかも、新しい霊的カルマをまた作って死を迎えるのです。

馬鹿馬鹿しいと言うことも馬鹿馬鹿しいほどの結果になってしまっています。


だから、神伝の法が地上に示されたのです。

神伝禊法によって、霊的カルマを解消するほかに人が救われることはありません。


しかし、もっと本当のことを言えば、神伝禊法によってすら解消し切れない部分というものは残るようです。

だからこそ、日々の修行というものが重要になってくるのです。

技法を実践していれば、霊的に進歩向上し、幽体や霊体は成長します。

ある意味、考えられないくらいすごい状態になっていきます。


それでも、地上に生きている以上、日々、何を考え、いかなる行動を取るか、これが行法以上に重要になってくることもあるのです。


霊的修行は段階が進めば進むほど、非常に難しい悩みや苦しみが出てきます。

普通に生活しておられる方々の肉を持つがゆえの悩みや苦しみとはかなり質が違うものですが、地上で人間として生きていて苦悩が無くなるということはありません。

しかし、それでも一歩抜け出すには、自分自身の力で、自分自身の自由意思を行使して、それらの苦悩に、打ち勝たねばならないのです。


それをしないのであれば、今回、またまた地上に生まれてきた意味はなくなります。


簡単なことではありません。

しかし、やらなければ、何千年も続けているあまりにも馬鹿馬鹿しい負の連鎖をまた、繰り返すだけです。


そして、時代はいよいよ極まってきました。

馬鹿馬鹿しい負の連鎖すら許されなくなる状況が近づいているのかもしれません。


時間は、もうありません。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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