物質界の人間社会においても、人間関係で相手を無視すると最悪の結果をもたらすことが多いようです。
実は、霊的な視点においても、この無視ということが最もマイナスなことのようなのです。
何度も書いているように、人には自由意思があります。
従って、今世の中に多い、無神論者になることも自由です。
これまで、霊感があるとか霊能力を使えるということは、幽体、幽気、間気に不調があることであり、邪霊につけこまれ易いということを書かせて頂きました。
勿論、それは霊的な事実なのですが、更なる事実とはもっと不可思議なものなのです。
霊感、霊能力があるという方は、幽体などに不調を持ち、未熟な霊魂と二人三脚の人生を送り、人によっては挙句の果てに廃人となってしまうことも珍しくないようですが、このような方々は少なくても、霊的なことを信じておられます。
霊能力ということで、ご自身の幽気を使い果たし、間気が漏れ、幽体はボロボロとなっていても、実は霊的なことを信じるという気持ちがあるために、自由意思によって、守護霊や指導霊は何らかの活動することができるようです。
従って、結果的に霊的に間違った道を選び、何もかもボロボロになったとしても、霊的なことを信じたということで、プラスに働いている部分も確実にあるようです。
ところが、無心論者は、神や霊魂を徹底的に無視します。
霊的な世界、死後の世界も否定し、無視します。
こうなると、幽体の状態は、邪霊と付き合っている人よりも悪くなるようなのです。
例えば、物質界では、水を飲んだり、食べ物を食べたりしないと肉体を維持することはできません。
出来る限り、肉体にとって良い水、良い食べ物を食べた方が良いのですが、場合によっては、それが手に入らないので、体に良くない水を飲んだり、体に良くない食べ物を食べざるを得ない場合もあります。
毒であれば別ですが、肉体の維持のためには、何も飲まない、何も食べないということはできないのです。
飲まず、食わずであれば、すぐに肉体は活動を止めてしまいます。
実は、幽体にとっても、同じことが言えるようなのです。
すなわち、霊的なことに関心が向いていれば、それが幽体にとって良くないものでも、食べたり飲んだりはしているという状態にはなります。
ところが、無神論者は、幽体にとっての水も飲まなければ、食べ物も食べないと自由意思で決めているわけです。
勿論、霊魂を信じませんので、ご自身の守護霊や指導霊も無視します。
自由意思が優先されますので、守護霊や指導霊方々は、一生、その方に関与することは出来ません。
絶対に出来ないのです。
従って、救われるチャンスは皆無となるでしょう。
いつもながら、事実は小説より奇なりと思わされます。
さて、いつものようにこのブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐ始められる霊的トレーニング
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などをご覧になって頂ければと存じます。
今回の話もそうですが、地上の常識と幽質界の常識は全く違います。
法則が異なるからです。もちろん、霊質界も全く違います。
霊的な世界と言っても、幽質界と霊質界では全く異なるのです。
したがって、肉体の脳でどんなに考えても、それがノーベル賞受賞の天才の脳であっても、地上では霊的なことは理解できません。
地上の言葉で伝えられて何となくイメージすることは出来ても、正確に理解することなど不可能なのです。
しかし、霊的感性を磨けば、感じることは出来ます。
これは、経験しなければ、口で説明しても、誰も分からないことです。
霊魂学 は実践あるのみ。
結局、同じことを何度でも申し上げるしかありません。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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