なぜか、片方にばかり、それも頭の側面の辺り、強くオーラを発している。が、胴体にはオーラがあまりない。
その上、頭の上からはオーラが出ず、反対からはなぜか遠くまでゆくのに希薄である。
その上、不思議なのは、片方の手からは随分強く、よくオーラが出ている。
赤を仮に、幽体の不調な箇所、黒は良い箇所と仮定したとき、胴体に不調な部分がある。
強い部分からは強くオーラを発している。とすれば、幽気といって幽的な気、つまり世間で言う気と少し趣を異にする気がある。
その気が、頭、顔にかなり集中している。
なぜか首から下には気が流れない。無論、全く流れないというのではなく、上に比して希薄である。
こうなると、まず高級な霊魂からは、このオーラはよく見える。どこにいても分かると言えるほどよく分かるが、胴体がよく目に入りにくいが如し。
つまり百メートル離れていたとして、自分の守護霊もしくは指導霊が、ここをすぐ発見するが、胴は他の人と区別がつかない。が、あまり望ましくない霊魂はこれが目に入らない。
逆に首から下はよく分かる。そうなると悪い霊魂ほど身体の内部に入り得ると錯覚する。が、そうはいかない。
なぜなら、霊魂がいかに側に寄っても、身体内に入るには、幽体が肉とずれやすいとか、そうした状況にあるものである。ところが、幽体は正しく肉と接着している。
これでは中には入りにくい。さりとて、では、首から上、ここに常に想念を与えて、「あっちへ行け」とか、「右へ行け」とか、常にささやいていれば影響力が保てる。
が、以外と強い。
そうなると、想念で己の言うがままにもしにくく、身体内にも入りにくい。が、一見して狙いやすく見える。
つまり、いろいろな霊魂が寄ってくる。まず、たくさん寄って来る。
が、そのわりに影響力を出せない。
これだけ寄ってくれば、普通の人ならば、多分、何度か肉体内に侵入される。
出たり入ったりを繰り返す。
が、幸いなことに幽体が肉とあまりずれない。体質の如しかもしれない。
その結果、寄られるわりには悪影響を受けていない。
よって、現時点においても、悪い霊魂に侵入されたり、常に側で付きまとわれるということはない。
しかし、だからと言って、それで良いというものではない。
つまり、赤い部分、ここに不調があり、オーラがあまり出ないということは、幽体自体は不完全であるし、また、幽気が上下で別れているわけだから、ずっと永い年月のうちには、それが肉体にまで悪影響を及ぼし、大きな病気につながる危険を持つ。
また、手から力を持っているが、普通両手であるのに、片方しか、それも片方だけ極端に強い。これだと、多分、霊魂が見逃さない。
高級、低級とかいうのではなく、何か霊的な技の一つもやりたい、そう考える霊魂は寄ってきやすい。
いわゆる手のひらで治療するとか、そういうことをやらせたい霊魂から見ると、素材が良いと映る。
しかし、手に不調があるのに、ここだけ強いのでは、もし仮に、霊的な治療者になりたいとした場合、必ず幽体に不自然が出る。
つまり、己の幽的な力を他者に与えることはできるが、己の中でその力を補充することができにくい。
全体として活力を持っていれば、高い力を己に経由し、そこから出していけば自分の気を相手に与えて己が枯れてしまう。
よって、今の時点で、手のひらを他者に当てる式の治療をすると、多分、効力は一般人よりはあると思える。
あるが、その歪が、やがて己に来る。
これは、僕が契山館 に入会した日に受けた公開霊査の一部です。
この状態の修復は、家に帰ってから1週間ほど行なった、師からご指示のあった守護霊への祈念で出来ました。
さて、初めて霊査を受けた感想は二つありました。
一つは、霊魂学 と出会わなければ、霊的治療をする霊能力者やらヒーラーやらになって、幽体がボロボロになって、守護霊や指導霊の方々とコンタクトを取ることができなくなってしまっただろうということです。
ある程度力があったようなので、そのようなことを生業としたら、それなりの効果が出たでしょうし、効果が出れば、ずっと続けることになるので、どこかで大病を患うか、邪霊に肉体に侵入されるかして、生まれてきた意味も知らず、死んでいったことでしょう。
一つは、変形的なものではあるにせよ、部分的にそれなりのオーラが出ていて、守護霊や指導霊の目に入っていたということです。
これは、かなり意外に思いました。
けっこう長い期間、いわゆる霊能力者と親密な関係にありましたから、「幽体はボロボロで、このままいけば後数年で確実に死ぬ。」というようなことを言われると想像していたからです。
なぜだかわからないけれども、どうやら以前から守護霊や指導霊との交流があり、うまいこと霊魂学 に導かれ、契山館 に入会することができたようなのです。
このような幸運に恵まれた理由は明確には分かりませんが、今、考えると一つだけ間違いないだろうと言えることがあります。
それは、最短の正しい道のりではなかったかもしれませんが、少なくても自分なりにある時から強く神を求めたからだということです。
死後の世界、霊魂の世界(当時は当然霊魂という概念は知りませんでしたが)の存在を心から信じ、神を求める気持ち(最終的には以前書いたように古神道に行き着きましたから、感覚的には自然そのものに神を感じるというものでしたが)があったからだと思います。
もちろん、当時ですからご利益的なことも願っていたのですが、神を信じるという気持ちは誰に強制されたわけでもなくありましたし、地上の世界は、かりそめのものだと強く感じていました。
今、考えると結局は、そのことに尽きるのだと思います。
求めよ、さらば与えられん
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目に見えない存在を信じることなんてできやしないと思うのが普通でしょ。
宗教なんて弱い者が逃げ込む最後の場所だ。
詐欺集団に騙されて無一文にされるのは嫌だ。
知らないうちに洗脳され、街角で目もうつろな状態で勧誘をさせられるようになったらおしまいだ。
皆さんは、いろいろなことを思われていると思います。
地上に生きていれば、宗教的なことに限らず、詐欺や甘い誘惑は山ほどあります。
物質界においては、より豊かな生活を求めて、結局はお金に行き着く人が多いからでしょう。
生きるためにお金は必要ですが、それに振り回されれば、人生に暗い影をおとすということはどなたでもご存知のはずです。
僕は、そんな世の中だからこそ、ご利益ではなく、生まれてきた意味を探り、真実を、そして神を求める人だけが救われるのだとつくづく思います。
あなたにも求めて欲しい。
そう願うだけです。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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真実などどうやって掴むんだ。