霊魂学 の内容については難解な部分がありますが、霊的トレーニング は決して難しいものではなく、合宿で一度覚えてしまえば、日々自宅で実践すること自体にはそれほどの困難を伴うということはありません。
時間も修行の種類によって異なりますが、1種類だけで1時間以上かかるというものはありません。通常であれば、10分から30分程度が目安となるでしょう。
また、世間がイメージするような荒行ではありませんので、痛みを伴うとか、不眠不休で読経しなけれならないということもありません。
そして、霊魂学
のおいては、霊的トレーニング
だけではなく、日々の生活における修行
も重要になります。したがって、毎日の生活そのものが修行となりますので、特別なことをするというイメージとは異なる修行と言えるかもしれません。
しかし、霊的な修行にも困難を伴う部分があります。
一つは、霊的な進歩向上が目に見えないということです。
自分自身の霊的な成長が正しくとらえられないために、人よりも随分と成長していると錯覚したり、必要以上に卑下して自分はいつまでも霊的に低いままだと悩んだりします。
したがって、有頂天になっても、落ち込みすぎても、途中で修行をやめてしまうということにつながる恐れがあります。
一つは、特に日々の生活における修行 について言えることですが、霊的に正しく生きるということは、抽象的には理解できても、具体的に何をすれば良いかということが分からないという難しさがあります。
道標はありますが、漠然としてものなので、やはり、きちんと自分で考えなければならないのです。
一般論としての生き方に対する考えはあっても、個々の人によって置かれている環境や事情、そして過去世から持ってきた心情が異なるので、一律的な見本がないのです。
自由意思を重んじる霊魂学
ですので、当然の帰結とも言えますが、結局、自由意思を行使すると言うことは、全て自分自身で考えて、自分自身で解決しなければならないことを意味するのです。
もちろん、前述したように道標となるものは沢山ありますし、僭越ながら僕自身がこのようなブログを毎日更新しているのも、これから修行をしようとする方々の参考にして頂ければと考えた結果でもあります。
しかし、最終的には自分自身で考える以外に道はないのです。
世間では、宗教と言うと精神的に弱い者が逃げ込むところだとか、何かに依存してしまうものだというイメージを持たれているようですが、少なくても霊魂学
においては全く逆のことが求められます。
したがって、霊的修行の本当の難しさはまさにそこにあると言えるかもしれません。
さて、今日の話に何かを感じられた方には、是非、今日からすぐ始められる霊的トレーニング
を実践して頂き、わかりやすい霊魂学
、龍の正義
や霊魂イエス
、契山館
が管理するサイトである霊を知るために
などをご覧になって頂ければと存じます。
自分で考えることは楽ではありません。
自分で考えることに疲れた時に、宗教に興味を持つ方が多いという現実もあります。
洗脳というのは、洗脳する方にだけ原因があるのではなく、される方にもそれをどこかで求める気持ちがあるからこそ、成り立つのだと僕は思っています。
人は楽をするために生まれてきたわけではありません。
霊的カルマを解消するために生まれてきたのです。
したがって、楽をしていれば、その分だけ、人生の最も重要なテーマから離れていっているという場合があることを、あなたにも分かっておいて頂きたいと思います。
本音を言わせて頂ければ、僕などは、もういい加減に楽したいよと思う時もありますが、ありがたいことに全く楽になることがありません。それだけ霊的カルマが重いのでしょう。いつまでたっても苦悩はなくなりません。
人生において、今、一番心の平穏を得ていると感じていても、まだそんな風に思う時があるのですから、僕は本当にどうしようもないほど重い霊的カルマを背負って生まれてきたのだと思います。
しかし、僕は、それほどの重い霊的カルマを背負って生まれてきたのですから、霊魂学 と出会わなかったらと思うと、背筋がぞっとします。
本当の意味での悲惨な人生を歩んでしまったでしょう。
僕には、分かるのです。
世の中の99.99%の人たちが見向きもしないところに、真実への扉があるということが。
あなたにも気がついて欲しい。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
※ 契山館
、霊魂学
、霊的トレーニング
、日々の生活における修行
について更に詳しく知りたい方は、契山館
が管理する以下のサイトをご覧頂ければと思います。
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