陰徳を積んでも霊的に進歩するわけではない | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

霊魂学 は善悪を基準としていません。

したがって、一般的な宗教で語られる道徳や倫理感というものも基準にしていません。

このあたりが、宗教的な人にも霊魂学 が受け入れにくいところだと思います。

同じことを書かせて頂きますが、人間が人間社会で生きる以上、法律は守らなければなりませんし、ルールを守って、常識をわきまえた行動をすることは当然のことです。

霊魂学 はカルト宗教ではありませんので、人間社会における普通の生活を尊重しますし、人と協調することを求めます。

したがって、出家と称して山に籠もることやどこかの施設で現世離れした集団生活をすることは肯定しません。

人として普通に生活しなければ、霊的カルマが解消されないからです。

しかし、霊的に進歩向上し、進化するためという話になると善悪や道徳、倫理感というものを基準にしないのです。

貧しい人に施しをするなど、陰徳を積む人は、世間ではとても評価されるでしょう。

そして、それ自体は別に悪いことではありません。

ところが、幽質界には物質界同様に法則がありますので、死後の世界は全て幽体 の状態で決まります。

大統領だった人であろうと世界的に有名なスポーツ選手だった人であろうと国民的な歌手であった人であろうと人間として生まれてきた以上、全て同じです。


誤解をされる可能性がありながらもあえて書かせて頂きますが、例えば殺人犯と世界的に聖人と言われた人を比べた時、凶悪な殺人犯が世間からどれほど非難されようが、そして聖人がどれほど称えられようが、幽体 のレベルだけで死後住む世界は決まります。

殺人犯が上層幽界へ行き、聖人が下層幽界に行くということもありうるのです。

実際には、殺人犯の場合、多くの強い憎しみの念を幽体 に受けますので、幽体 が損傷して状態は悪くなりますが、もしも霊的トレーニング を実践して幽体 のレベルが上がれば、死後わずかな期間で上級幽界へ行くことも可能です。

逆に、聖人がいくら善行を繰り返し、陰徳を積もうとも、そのことによって幽体 のレベルが上がるわけではないので、必ずしも上層幽界へ行けるとは限りません。

しかも、有名人になってしまうとどんな人も多くの人の妬み嫉妬の対象になりますので、低い念をたえず受けることにより幽体 がボロボロになる可能性が高まります。

世間で有名になると言うことは常に幽体 が損傷しやすい環境に身を置くことになるのです。

詳しくは、いつものようにわかりやすい霊魂学霊魂イエス 、或いはサイトであれば霊を知るために をご覧頂ければと思います。

そして、ご自身の霊的感性でそのことを感じるために今すぐ始められる霊的トレーニング 」を実践して頂ければと思います。

霊的真実とは、かくもはっきりとしたものなのです。

地上の人間の価値観や権力者の恣意によって左右される曖昧な基準は存在しません。

そこにはただ法則があるのみです。

人は霊的カルマを解消し、幽体 を鍛えることによってのみ救われるのです。

死後、上層幽界や上級幽界へ行き、二度と生まれ変わることがないようにしなければ救われることはありません。

今すぐ始められる霊的トレーニング 」を毎日実践することによって、あなた自身の霊的感性で、人生の目的は陰徳を積むことではなく、霊魂学 霊的トレーニング にあることを感じて頂ければとても嬉しいです。


今このブログをご覧頂いているあなたは、すでに人生の目的を知るチャンスを掴んでおられる筈です。

大切なことは唯ひとつ・・・・・。

※ 契山館 霊魂学 霊的トレーニング 日々の生活における修行 について更に詳しく知りたい方は、契山館 が管理する以下のサイトをご覧頂ければと思います。

霊をさぐる

たましいの帰り道

霊的世界への探求

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