死 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

死は誰にでも訪れます。

このことを否定する方はまずいらっしゃらないでしょう。

物質界での死は、使用している肉体が使えなくなることを意味します。

肉体にも個我ありますから、肉体が滅びることに対する恐怖というものは誰にでもあります。


ところが霊魂学 を学んでいる者にとっては、物質界での死というものはちょっと意味合いが異なります。


従って、霊的修行者にとって死とは、普通の方が感じるような恐怖の対象とはならないことが多いでしょう。

しかし、ある意味では僕のような霊的修行者にとっても死は恐怖の対象になり得ます。


なぜなら、せっかく、霊魂学 と出会い、霊的トレーニング を行っているというのに、本来到達すべきところまでいかずに死んでしまうことがあるからです。

肉体を使用するこの物質界でしかできない、霊的な進歩、向上があるわけですので、後悔しても後悔しきれない結果になってしまうことがあり得るのです。


霊的修行者であっても不慮の事故に絶対あわないということはないでしょうから、死はいつ訪れるか分かりません。

不慮の事故であれば、まだ諦めがつきますが、自分自身がうだうだしていて、気がついたら死が迎えにやってきたというのでは、しゃれにもなりません。


ところが、霊的進歩、向上というのは、毎日の殺伐とした物質界での生活では実感しにくいようです。

修行が進んでくれば、ある時、自分自身が以前の自分と全く変わっていたと気がつくことはありますが、毎日の生活ではなかなか実感することができないのです。

だから、修行の道半ばで、立ち止まったり、悩んだり、後戻りしたり、最終的には歩むことをやめてしまったりする方も少なくないのでしょう。


僕のようなできの悪い霊的修行者としては、そのことを肝に銘じておかないと取り返しのつかないことになる可能性があります。

死ぬ瞬間に「ああ、やることは全てやった。これ以上は絶対に無理だった。」と思いたいものです。


死について、ご興味のある方は、いつものようにわかりやすい霊魂学 霊魂イエス を読んで下さいと申し上げておきます。

死に対する考えが180°変わるかもしれません。



あなたは、死の瞬間に何を思いたいですか。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。

※ 契山館 霊魂学 霊的トレーニング 日々の生活における修行 について更に詳しく知りたい方は、契山館 が管理する以下のサイトをご覧頂ければと思います。

霊をさぐる

たましいの帰り道

霊的世界への探求

大霊力

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