新興宗教というとすぐに思い浮かぶ言葉が洗脳とかマインドコントロールです。
そして、現実からの逃避です。
宗教イコール逃避と考える方は多いですね。
そして逃避の最たるものが洗脳やマインドコントロールと言っても良いのかもしれません。
とにかく、自分で考えたり悩んだりすることを放棄できるので、ある意味当人にとってはとても楽な状態になれるわけです。
幸い、僕は、契山館に入会する以前であっても、洗脳されたり、マインドコントロールにあったりしたことはないのですが、恐らくその危険に晒されたことは何度もあるように思います。
根っからのあまのじゃくの僕は、守護霊や指導霊のおかげもあり、その危険から避けてこられたのですが、契山館
においては自由意思が何よりも重んじられるため、そのような意味で楽になれることはありません。
要するに契山館 の会員になり、霊魂学 を学び、霊的トレーニング を毎日真剣にやり続けても、何も変わらないと言ってしまえば変わらないかもしれません。本人の知らないところで、劇的に変わっていたとしてもです。
人がこの世に生まれてきたのはカルマの解消など、明確な目的があるからです。
従って、どんなに嫌だと思っても、常にその課題は人生の節々で顔を出してきます。
総理大臣だろうが、世界的な俳優だろうが、有名なスポーツ選手だろうが全て同じです。
周りの人からどんなに羨ましく思われている人でも、明確な目的があって生まれてきているので、常に課題はつきまといますし、そのために苦労もしますし、苦しみも味わいます。
ただ、具体的にどのようなことが起こるかは、それぞれの過去世やカルマが違うので、人によって違うとうだけの話です。
洗脳がない契山館 においては、目先の現実生活というレベルでは、すぐさま苦悩から逃れることはできないかもしれません。
苦悩に打ち勝つには自己の自由意思に頼るしかありません。
先日、少し厳しいことを書かせて頂きましたが、自由意思の裏側にはそれと同じ大きさの自己責任があるわけですので、苦悩に打ち勝つ覚悟がなければいつまでたっても苦悩は追いかけてきます。
当然ですよね。これはどんな宗教を信仰しても結局同じことだと思います。
苦悩を乗り越え、カルマを解消し、霊的進化を遂げるために、わざわざ生まれてきたのですから、それは一生つきまとってくるのです。
感情も思考も完全に失われ、ロボットのような状態になって死んでいければ、もしかしたら、目先の苦悩を回避できるのかもしれません。
但し、死後の状況は物質社会をはるかに越える恐ろしいことになると予想されます。
目先の課題を先延ばしにすれば、どのようなことになるかは、普段の生活における経験から、誰もがご存知のことでしょう。
洗脳されて楽になりたい方には契山館 は薦められません。
現実からの逃避ではなく、霊魂としての真の幸せを求めたいと願う方には契山館 をお薦めします。
いつものことながら、今回のテーマで、少しでもご興味を持って下さった方には、わかりやすい霊魂学
や霊魂イエス
を読んで頂きたいと申し上げておきます。
リンク先をちらっとご覧になるだけでは、かえってわからなくなってしまうかもしれませんので、一つの書物を最初から最後までじっくり読んで頂くほうが良いかと存じます。
毎日に同じことを書いていますが、僕の戯言を読んで頂くよりも、ずっと心に響くものがあるでしょうから、是非読んで頂きたいのです。
ちなみに、先日紹介させて頂いた霊をさぐる で購入できる霊魂小説では、「弁慶と弟子 」が特にお薦めです。
読んだらびっくりしますよ。
漫画が大好きな、私の霊体の好みが反映されたと勝手に思っているわが妻はまだ読んでいないようです。
また、契山館
、霊魂学
、霊的トレーニング
、日々の生活における修行
について更に詳しく知りたい方は、契山館
が管理する以下のサイトをご覧頂ければと思います。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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