こちら側の『なんで?』を理解できない。
理解しようとせず、自分の解らないを押し通す。
そんなひとには、時に「なんで?」を押し付けてもいけない。
最近は、そんなことに気づき、人の地頭の良さは、生まれ変わらないとどうにもならないのかもしれない。とすら思えたりしています。
考えられない、慮れない、押し測れない。
そんな大人と呼ばれる年代の人たち遭遇することが増えまして…それも過去のトラウマやこれまでの経験のなさのせいにしてる人が多くて、
なんとも情けなくなることもあります。
空気を感じない。または、感じすぎて自分の世界の中で解釈、解決をする。それらがなぜそうなったのかの情報開示もない。
かつて過去の関わりにも、そんな人たちを見てきました。
その人たちといた時間は、理解度の違いで、物事の進み度がかなり変わり、本当に困ったことがありました。
今となっては、皆さん理解できないことだらけで、学び直しを何度も繰り返しました。
そのときは、その意識に気を取られすぎて、全く頭に入ってこなかったんだな。と、後から気づきます。
自分の落ち着きのない過去への反省です。
わたしの反省は、
その雰囲気を、その空気を止めることをしなかった。
または、仲間としてきちんとなにかする。と勇気を持たなかったこと、諦めたことです。
とても面倒に感じてしまい、自分では何もできないような気がして言えなかったり。など、さまざまな反省が蘇ります。
だからこそ、講座を開催する際などに、
それらを糧にして活かす材料にしています。
自己啓発の講座やセミナーではなく、
カウンセリングの講座なのだから、
できないこと、考えたことがないこと、やったことがないことを、
こちらで考え、提案して、やってもらいます。
考えたことがないし、思いつかないし、できない。という大人も現れます。
だからやってみるんです。
やってみて、なぜ考えたことなかったのか、思いついたことがなかったのかも含めて捉えていくのが講座の最中でやっていくことです。
もしもそこへの勇気を持てずにいたら、
これから先、未来に向かって何かを立ち上げていても、バイタリティが足りない大人から教わる子どもたちのアイデンティティの欠如に繋がってしまうため、そのような際は注意を促すことがあります。
何も深く考えずに文字をだし、誰かに伝えていることは、大人としては罪なのだと思います。
しっかり、観て、聴いて、感じて、捉えて、話す。
それらは、大人だからこそやることで、
それが過去にどんな目に遭っていようと、
どんな人生であろうと、
今大人であれば、できることだと感じています。
わたしがわたしの道を歩く時、
必ず誰かに助けられていることを
必ず誰かが見逃してくれたことを
忘れちゃならないのです。
逃げた、退いたという人が周りにいた人は、
逃した、退かせたということがついて回ります。
本当に思いやる人は、それで病になるぐらいです。
本人は、自分の意志で離れた。と言いますが、
共にある人たちに伝えて、縁切りをしてない時点で、相手は自分たちが頑張れなかったからだ。と感じるのです。
そんな人たちがたくさん増えてるのと、
勘違いの中にある、
「自分のために生きる」とか、
「自分を大事にする」とか、
それに振り回されてる人たちがいて、
それに悩む人たちを理解しながらやってほしい…と思っています。
まあ、、そんなこと考えてたら
そうはならないよね。という雰囲気なんですが…。
自己理解を自分だけでするのは、危険。というのを最近は常々感じます。
ある意味幸せだよな…そういうの。
とは思いますが、わたしは、そうなりたいとは思えません。
過去のことを並べ、
それを引きずりながら、今変なことが起きたら全てそこに立ち返り、今を見ようとせず、人に未来を見せることができない。
誰かが一生懸命考えたことを、
それだと思わずに、嫌な体験・経験だけで済ませる。
人のことをなんだと思ってるんだ!?
とは、言いたくなりますが、時間の無駄なのでやめておこうと心に決めております。
とても有意義なその時間を経て、縁は途切れていきます。
感謝しかありませんし、やはり縁が切れるということになるとは思ってもみませんでした。
でも、縁は切れました。
とても大切な経験を経て学んだことは、
やはり一度思ったことを覆らせるほど、わたしはまだ大人になれてないんだな。と感じたことと、もっと大人にならなきゃ、もっと知性を増さなきゃ。ということでした。
大人になる責任は、幾つになっても、いつでも考えられることだし、
もしかして今はまだ、これからもずっとできない人もいるかもしれません。
「なんで」を返せない人が大勢いることも事実です。
それを慮れる自分になり、振り回されすぎない自分で、
自問自答をし続けていくことも大切だな。と思います。
どんな生き方をしていくのか、いつまでも考え続けたいですね。
それがないと、魅せることも、生き様にたどり着くこともできないですから。