判断基準が曖昧、実際どうなの?

本当に困っていたら書かなかったらいいですよね。

 

かつて、とあるサイトに大量の書き込みをされた経験がある私としては、

これを訴えた時、警察にこう言われました。

 

・店を襲いに行こう

・今日どこどこにいたらしい

・人として〇〇

・お客さんからお金を巻き上げている

・だらしない

など・・・本当にいろんなことを書かれました。

 

その当時、離婚問題の最中や子供と離れることになるようなタイミングで、

まだ子供が保育園に行っている最中で、保育園のママ友(これはママ友とは言わないのか・・・)と呼ばれる人たちの書き込みがあり、1週間くらい熱を出しながら仕事をした経験があるのですが、あの時のことはいつでも恐怖としてやってくる感覚は残っています。

 

弁護士さんに聞いたときは、

「かなりの時間がかかり、お互いにいいことないけれど、それでもいい?」

と言われ、泣き寝入りして、1000件以上書かれている書き込みが次の1000件目に突入した瞬間に何かを諦めた自分がいました。

 

今でも、その書き込みの情報を教えてくれる人がいますが見ないようにしているし、

なるべく笑い話にするようにしているけれど、保育園時代に関わっていた人にはなるべく会いたくないと思うようになりました。

 

そんな困ったこれらが法改正になるそうです。

明日10月1日から侮辱罪が改正されるそうです。

 

 

 

発信する側として、気をつけなければならないと思っている部分と、

それに挑発されないようにしなければならないと思っている部分と、

なにより「意図的に誹謗中傷」ということをやったりやられたりしないように、

 

それでも法改正は一歩前進になるのでは。と思います。

 

だからこそ、この手の問題にも相談に応じています。

私の出来事は過去のことなので、あまり参考になりませんが、

すこしでも元気につながることになればと思っています。

 

 

 

女性に優しいとか

障がい者に優しいとか

弱者に優しいとか

 

そんなことは当然ながら・・・

この弱者と呼ばれる方達の実態も、ほんとのところはさまざまであるし、

それを知らないで「優しくしよう」と言われていることも優しさだし、

 

強者に守られて生きているのも事実で、

本来は各々が対等である社会になるのが一番の理想であり、

それならいつかは目指せるのではないか、と思えて仕方ない。

 

 

お互いがお互いを理解するのはもちろんだけれど、

当事者も当事者を理解することが大事になります。

 

お互いを理解し合うことに長けすぎて過ごすのではなく、

当事者は自分はどういう状態なのかを知る勇気も必要になります。

 

少しずつでいい、自分はどうなんだっけ?

本当に理解しようと思っているのか、もしかしてやる気がないのか・・・

いろんな視点で自分を見てみるのも大切になります。

 

 

弱者を弱者で生き続けるのではなく、

強者が強者であり続けるのでもなく・・・・

いつかいいバランスになる世界観になりますように。