七月

東松島に行った時に

思ったことがあったと
書きましたが(8月1日の記事『8月ですぜ』参照)

それについて。




それは

震災を見る視点って
立ち位置によって全然違うんだろうな

ということ。


というのも
東松島は私にとって
初めて見る街で(通り過ぎたことはあるかも?)

津波被害の地区を見ても
どこがどうなったのか
わかりにくい

瓦礫は片付けられ
平地には雑草が生えている。


海岸沿いの防波堤は所々破壊され
地元のかたの話では
海岸の松林のうえから波が見えた
とのことですので
相当な被害だったことがうかがえますが

元の街並みがわからないので
被害の程がわかりにくい。


昨年
帰省した際
陸前高田市を通りまして、
瓦礫は山になっていましたが

辺りは
工場のない工業団地というか
とにかく何もない広い土地になっていました

帰省の時
陸前高田市に寄ったりしていた私は
街が丸ごと無くなってしまったその場所を見て
何にも言えない思いになったのと同時に

初めてこの街を見る人には
被害の大きさが
わからないのではないか?

とも思いました。

これは
他の被災地にも言えることで、

その懸念(?)は

実際
私が東松島市を見て
あながち見当違いでもないなと思いました。


衛星画像や航空写真で
津波被害地区の
震災前震災後の比較などがありますが
アレもしっくりしない

街には無数の生活があって
喜怒哀楽の思いがあった

衛星画像の震災前震災後には
それが映ってない

せめてカイトのような超低空の写真であって欲しい




そんなワケで
良いとか悪いとかではなく

それぞれの立ち位置によって
震災の見え方って
全然違うんだろうな

という話で、


原発事故の被害を受けた方
地元で津波被害を受けた方
郷里が被害を受けた方
たまたま旅行等で行った場所で被害を受けた方またその知人
初期のボランティアをされた方
初期からボランティアを続けている方
初期は行けなかったがボランティアをされている方
被災地には行けないが後方支援をされている方
被災地を見学に行かれた方
などなど

それぞれに
それぞれの見え方があるんだろうな



そう思いました。

今までは
直接的被災者でないわたくしが
震災について話したり書いたりすることに
罪悪感に近い思いがありましたが

知らない町の被災状況を見て

それぞれの立場(とくに被災者)について
完全にその気持ちを理解することは出来ない
という事がわかりましたし

逆に
それぞれの立場の
それぞれのの視点でいいのかな?



なんとなく
そう思いました


長くなり
わかりにくくなったのでまとめますと


『震災に対する視点は立ち位置によりさまざまで
それぞれの完全な理解は難しい
しかし完全な理解はなくとも
それぞれの視点でそれぞれの立場で
復興の力になれる
みんなで顔晴ろう!』

という

そういう
話でした(^-^)


以上