「何を言うかじゃなく、誰が言うか、だよ。」
かかかかかかか
さえかかかかか
か
か
か
か
か
書けねぇ。
書けねぇよ、、
そんなこと言われちまったら
ブログなんかさえかかかかか書けねぇーーー\\\\。泣
どうも、こんにちは。
雪森さえかかかかかです。
(スマホ壊れたん?あ、壊れてるのはそなたの頭か、、。)
「何を言うかじゃなく、誰が言うか、だよ」
「人生笑えてない人の話なんて聞くに値しない」
この言葉、私はその通りだと思った。
いや、そうだよね。そりゃ。
私も人生笑えてる人の言葉を信じる。
ほんとその通りなんだけどさ。
グサグサグサ。
私はその言葉を目にしたとき、その通りだと思ったと同時にブログを書くのが怖くなった。
食べて吐いてるわたしが
人生楽しめてないわたしが
何を発信したところで無駄かもな、、って。
いや、別に自由に投稿すればいいと思うのよ。
いいも悪いもないくらいフリーダム。
誰も見てなくたって誰からのいいね!がなくたってさ、、、(ぐすん)
雪森は自己肯定感が旅にでてたからとにかく怖かったんよね。
他人の承認がないと、怖かった。
食べて吐いてることをブログに書くのも怖かった。
そんな話を昔お世話になってたカウンセラーの先生に話したことがある。
食べて吐いてる私が人生笑えてない私がブログを書いたところで何も響かないし無駄かなって思っちゃいます。自分の内面が整ってることが大事じゃないですか、、、
って弱音吐きまくってた。
そしたらね、その先生はこう言ってくれたの。
今の雪森さんだからこそ伝えられることがあるんじゃないですかね。
って。
そうかなあ、、、、って思ったんだけどさ。
確かに、生きづらさかかえてもがきながらも自分と向き合ってる姿って誰かに勇気与えるかもしれない。私はカッコいいと思うもんな、そういう人って。
あと、自分自身が実際に体験してきたことって強いよね。自分にしかわからないことというか。
中学3年生の時152cm25kgで拒食症と診断されて強制入院歴がある私だけど、立派に生き抜いてきたよ!今はラクに生きられるようになって上司に溺愛されるようにまでなったよ!まだまだ毎日が楽しいわけじゃないけど、まだまだ拗ねちゃう自分もいるけど、まだまだ認知の歪み激しいけど、、そんな自分を認めて少しずつ進んでるよ!
って話とか。
(まあ、需要があるかはさておき)
今の時代「知識」ってすぐ手に入るじゃん?
知識を得るためなら、本、ブログ、Youtube、ありとあらゆる媒体があると思う。
ググればわりと何でもわかるしさ。
でもその「知識」が時に邪魔になったりするから困った。あくまで私の場合だけど。
「正解」を探すクセと「ちゃんとしなければならない」っていう優等生感が邪魔した。
自分の気持ちを蔑ろにしっぱなしだったよ。
自分の気持ちよりも「正しさ」が大事だった。
そりゃ辛いわけだよね。
自分のこと置いてけぼりなんだもん。
だから私は言うのだな。
まずは、自分の正直な気持ちを吐き出すことが知識を得るより何より大事だよ、って。
①どす黒い感情を吐き出すこと
あいつ死ねよ祭り☆ノートに開催するとか。
②自分の本音に気づくこと
本当はこう言いたかったとか本当はこうしたかったことをノートに書いてみるとか。
正直な気持ちを認めるのは、ちょっと恥ずかしいかもしれないけど。負けたような気がするかもしれないけど。なんかムカつくかもしれないけど。
でもね、、
素直になった人が欲しいもの得てるって私は気づいたのよ。
いや、もう痛いくらい痛感したね。
拗ねていいことなんて一つもなかったし。
だからやっぱ素直ってめちゃくちゃ大事なことなんだと思う。
拗ねてきちゃったからさ、雪森。
ほんとーに。
恥ずかしいほど拗ねてきちゃった。
かなり凹みまくったけど、、、
拗ねてることに気付いたんだから大進歩だと思ってる😎
拗ねてるんだな(ぐすん)って認められること自体、素直に近づいてるじゃん?