今年も八月六日、広島に原子爆弾が
投下された日
泉佐野市立第一小学校の平和登校日に
絵本と紙芝居を読みに行ってきました。


今年で14年目となります。
毎年、ご依頼有難う御座います。




一年生、二年生に読むので
共感しやすい紙芝居を必ず読みます。


今年は



古い作品の復刻版です。

少しでもイメージしやすいように
この写真絵本からの写真を何場面かを
紙芝居の前に読みます。




8時15分で黒焦げになった時計
焼けてぐにゃりと曲がり
黒焦げになったご飯と煮豆
真っ黒に焦げた眼鏡
表紙の鍵は捕虜を閉じ込めた部屋の鍵
焼け残った歯
子どもの焼けた靴
溶けたビー玉
人影が焼きついた階段‥。


その悲惨さに子ども達は
三角座りの体を動かします。


「こんなに熱かったんやよ。
   一瞬でこんなになったんやよ」


そして紙芝居の物語へ
息をあわせて入ります。



原爆が投下された焼け落ちた街で
けんいちのお母さんは建物の下敷きに。

火が迫ってくる中
お父さんは必死で柱を退けようとしますが
力が足りません。

通りかかった兵隊を引き連れた将校に
助けを求めすがりますが
見向きもされません。

戦争中、日本人も恐ろしかったと
日本の人々の証言があります。

途方にくれるお父さんに
お母さんはお母さんの命を諦めるように
苦しみの中、訴えます。

「私はもうだめだから
   お願いだから子どもを連れて逃げてください。
   子ども達をお願いいます。」

生きたまま焼かれていくお母さんを
泣く泣く後にするお父さん。



「お母さん、お母さん‥」と
苦しみながら亡くなる女の子の物語も
あります。


子ども達の顔は
普段見られることのない表情です。


後半の物語は
敗戦後10年目の広島。

顔に火傷を負った女の子が
傷をからかわれ、いじめにあっています。

傷を見せろ
傷を見せないと通してやらない
と。

そこにお母さんを火の中に
置き去りにせざるをえなかった
大人になった、けんいちが

  「もう一度言ってみろ!
      原爆で傷を負った子に
      自分達が何を言っているのか
      わかっているのか!」
と。


けんいちの言葉に

怯えていた女の子は


  「そんなに見たいなら見せてあげる
      これが原爆で焼かれた傷よ」と
顔をあげます。


いじめていた子は
戦争の後に広島に来たから
わからなかった‥と
泣きながら謝ります。




人を傷つける原因は
無知であることもあると伝えました。


平和登校日がある理由です。
無知で人を傷つけることのないように
無関心にならず何があったのかを
知ろうとしてほしい、と伝えました。



そして子ども達の実感しやすい平和を
今年もこの絵本で。


平和って

    だいすきなひとと一緒にいれること

お母さんの膝に抱かれる子の絵

安心して通える学校

いやなことはいやだと言える

まちがえたらあやまる
あやまってもらえる
ゆるしてもらえる

思いっきり仲間と遊ぶ原っぱ


満たせれている子は
いじめに走りにくいです。

寂しく荒れている子は
はけ口を求めます。

大人も子どもも
満たされていないと自分より弱いものに
心の痛みをぶつけます。


ゲームはいけないと言われるのに
仲間と体いっぱいで遊べる子が少ないのは
本当に大人が考えないといけないこと。

1日に三時間以上ゲームをしないと
気がすまないゲーム依存の子どもや
スマホ依存の幼児さんが増えているのは
恐ろしいことです。

今の子ども達は
平和の中で育っていけているのか
大人が考えるしか子どもを守れないです。



そして最後の一冊。

奇跡の種の蒔き方
育て方だと思う一冊です。



頭に巻いてるスカーフのことを
不思議そうな子がいたので



色んな国の
色んな文化、暮らしがあることを
少し写真絵本で見てから物語の中に。






バスラの国であった本当の物語。


「ホンマの話?」と
子ども達は何度もきいてくれます。



何か物事が行き詰った時
諦めるのか
今の自分には何ができるのか考え
行動に移す
という2つの道があること。


一人では難しいと思った時
諦めるのか
助けを求める
の2つの道があること。

その結果、みんなが助けてくれなくても
何人かが助けてくれたら
それはとても力強いこと。


そんな一人一人の少しずつが
ちゃんと実ること。

ほとんどの図書館の本が守られた事実を
伝えました。

図書館員のアリアさんが
闘病されていることを話すと
「今もなん?」と心配する子ども達が
愛おしいです。

毎年のことですが
誰も騒がず聴いてくれます。
すごいことです。



最後は今年もミュージックケアです。

シャボン玉を潰して騒ぐ時間ではないこと
亡くなった人のことを思って見つめてほしい
毎年伝えますが

そうできる子も
思わずはしゃいでしまう子もいます。

「潰すなや!潰したらあかん!」と
とめてくれる子がいる年もありました。

担任の先生へのシャボン玉に子ども達が
無邪気に集まり
先生と一緒にひっくり返ってしまう年も
ありました。

思わず
「これも平和‼︎」と笑いあった年もありました。


今できなくても
必ず振る舞い方を見つけてくれる時が
くるのを信じて待ちたい私がいます。

隣の子が騒いでいても
じっと見つめてくれる子を静かに認めたい
私がいます。


そんな気持ちで今年もしめくくりました。


   たくさん感動できる人生を。
   しあわせな大人になってね。

と。

さようならの挨拶のあとで
男の子が半ば放心状態で
座り込んだまま


「めっちゃ 悲しいわ」と。


その言葉に包まれたのは
私だけではないはずです。
ありがとう。


先生方
今年も子ども達と一緒に物語を
くぐり抜けてくださり
胸いっぱいです。
有難う御座います。



来年も一緒に読みあえますように。